indexのPageはこのPageなので、クリックしても、どこにもlinkはしていません。 |
通常なら、indexのページを独立して作ると思いますが、indexとは言っても、そんなに大量にあるわけではないので、トップページの中にindexを放り込んでおきました。 ホームページを制作し始めた最初の内は、このページ自体がindexのページのつもりだったので、特にindexのページは作らなかったのです。 しかし、しかし・・・・。 ホームページは、書き溜めて行ってしまうので、だんだん、文章が長くなってしまいます。 このページも、段々長くなって来たので、探すのに手間がかからないように、上のボタンをクリックすると直接、indexの栞に飛ぶようにしました。indexのページの文章が長くなって来て、付録のページが遠くになってしまいましたので、付録のページにも、直接飛べるように、indexの栞(しおり)を新たに付け加えました。 |
病床記 |
(本文では闘病記となっていますが、病床記のindexのページです。) この病床記というサイト自体は本来は、このindexと全くダブってしまいます。 つまり、最初は、topPageの、ここのindexの部分は無かったのです。topPageから、この病床記(闘病記)に入って、それぞれの病気の経験話にリンクさせていました。 何時もの通り、面倒臭がり屋の私は、ついついtopPageからいきなり本文に入れるようにしてしまったので、基本的にはこの病床記(闘病記)は要らないPageになってしまいました。 しかし、今度は、topPageが段々膨大なPageになってしまいました。 ・・・という事で、今度はtopPageからindexを抜いて、少し軽くする事も考えています。 |
1.高校時代 |
(高校時代に大学病院に腎臓結核で入院した時のお話です。その時の病床日誌に対して、その内容の説明と補足解説を少し付け加えておきました。 2013年2月10日更新) |
2.作曲科の職業病 | 音楽大学入学と時を同じくして、胃潰瘍と十二指腸潰瘍に掛かって、入退院を繰り返す事になってしまいました。その事を大学の日本人の作曲科の先生に話したら、「胃潰瘍は作曲家の職業病だよ!」と言われてしまいました。そして30年後のピロリ菌の治療まで、胃潰瘍は再発を繰り返します。 |
ピロリ菌 | 腰痛が酷くなってしまって、人生始めて救急車を呼んで、兄貴の友人で、子供を教えに行っていた、牧野先生のbyteしていた病院の紹介で江古田の教室のすぐ傍の病院に入院しました。全く動けない状態でICUに1週間程いました。その病院での胃の検査で当時、先端の医療だったピロリ菌の対処の注射をしました。その病院で大腸カメラをやったのですが、全麻でやったので、尾てい骨を動かされてしまい、その後、尾骨の痛みに長年悩まされる事になります。 |
3.鬱とEDについて | (内容的に特別に変更はないのですが、分かりにくい所や、補足説明が必要な所を少し手直ししておきました。2013年2月12日補足説明) |
4.全ては肥満から始まった |
(肥満と糖尿病 追記:2008年11月22日追記) 2016年10月の5日ホンの少し、便秘についての項目を追記しました。 |
5.腰痛日誌 | 腰痛でS病院に入院したのは今を遡ること 1998年(平成10年)の7月のことであった。 この年の1月には、経理をやっていた共同経営者の丼勘定と乱脈経営で事実上教室を倒産させて、発表会費用や銀行に残った残金も全部引き出して、経理のノートを持って、教室のハンコも持ったままで、田舎に逃げ帰ってしまいます。 本当は、丼勘定で経理がめちゃくちゃになっているのは私も分かっていたので、何度か「経理を代わってやるから」と、言ったのですが、経理だけは代わりたくなかったようです。変わってしまうと、それまでの乱脈経営が一瞬でバレてしまうからね。 税理士の先生や銀行は、警察に届けるようにadviceをしてくれたのですが、20年近く一緒に教室を切り盛りしてくれた人なので、警察沙汰にするのは忍びないという事で、私が銀行に頼んで、ハンコの紛失という事で、何とか収めて貰いました。 その時点で、すっかり、生徒も少なくなったので、私としては、これを機会に、教室を閉鎖しようかな? とも思ったのですが、教室で育った先生達にその旨を伝えると、若い先生達は「芦塚音楽教室教室をこのまま存続させて、自分達で経営して行きたい」という希望だったので、以前の先生が乱脈経営で、残った僅かな金すら、持ち逃げされて、すっかり無くなってしまった資本金ですが、もう一度、私がその全額を準備して、教室を再稼働する事にしました。 また、少子化で生徒が少なくなった朝日ヶ丘教室を閉鎖して、倉庫替わりの花園教室の傍の宿泊施設を閉鎖して、教室用に買い揃えて来た多くの備品を処分しました。 そうして、やっと半年も経って、教室の経営もやっと軌道に乗ってきた(先が見えてきた)頃に、それまでのオーバーワークが祟っての腰痛です。 勿論、私の腰痛の根本的な原因は、そういった精神的なストレスと疲労でした。 でも、この腰痛日誌の本文の中のお話は、そういった個人的な愚痴話とは関係なく、病院での体験に於ける入院生活上の看護への不平不満のお話だけにしてあります。 |
6.第三の選択 | 2005年平成17年の8月2日に冠動脈のバイパス手術をしました。 でも、私が自分の不定愁訴を冠動脈を疑って、そのcheckをお願いしたのは、それよりも、5年も6年も前の、2000年になる前の頃の話です。 しかし、病院でその話を幾らしても、「素人が何言っているの!?」と循環器の先生達には一笑にふされてしまいました。 その後、やはり、私が「不整脈が出ているから・・!」と言って、何度も何度も、病院での検査を要求して、その内に、(5年以上も経って、)やっと病院での心電図の検査に引っ掛かって、カテーテル検査に行く日にちが決まったのは、私が心臓の不整脈や冠動脈の話を医者に言い出してから、既に、5年後、6年後の話です。 今度は、手のひらを返したように、「よく、これまで生きていたね。あなたの心臓が強かったから、何とか生きて来られたので、普通なら5年も、6年も前に死んでいてもおかしくはなかったのですよ。」と言う医者に、「私も、5年も、6年も前から、『冠動脈だ!』といいつづけていたのですがね。」「そこまで分からんものかね?」と、言ったら、「そこまで分からんのですよ。」と言われてしまいました。 21世紀になっても、その程度のものかね??・・・医学の発展は・・・?? |
7.その後 1 | その後とは、2008年の5月09日以降のメールを集めたもので、2005年の8月2日に、心臓のバイパス手術をした大和成和病院が、江古田からの通院には余りにも遠距離過ぎるので、担当の先生に近くの総合病院に通院するようにアドバイスされて、紹介状を貰って、練馬高野台にある大学病院病院に通い始めた所からが、「その後」の話になります。 つまり平成17年に受けた、心臓のバイパス手術以降のメールのやり取りのお話です。 江古田の私の住いからは、大きな病院、・・・つまり、練馬区内にある大学病院は、私が最初にカテーテル検査を行った(今は亡き)日大病院と、順天堂練馬高野台の二つの病院があります。 しかし、日大病院の方は、逃げ出してセカンド・オピニヨンとして、大和成和に行ったので、日大病院に戻る事は、ありえませんよね。 ・・・という事で、総合的に体をcheckしてくれるであろう、色々な科のある大きな大学病院という事で、半ば自動的に、順天堂病院に行く事にしました。 その主な理由は、大和成和病院の主治医の先生に「近場の病院を探すように❢」と言われて、ちょうど病院を探していた時に、ちょうど偶然に、順天堂の院長先生医療に対して姿勢のドキュメントをテレビでやっていて、とても感動したからです。 そういった先生がトップにいる大学病院ならば、末端の医者や看護士に至るまで、誠意を持って患者に対してくれるに違いないと思って、その病院への紹介状を書いて貰いました。 しかし、現実は・・・・・、という事で、折に触れて、愚痴を書き連ねて来たものです。 「その後」は、(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)と、そういった病院を転院した経緯が詳しく書かれています。 2005年の8月2日のバイパス手術を終わってから、2012年01月31日迄の愚痴を書いています。 後、「その後」の追記として、近況の日常生活のブログを「鬱日記」として、(Ⅰ)(Ⅱ)(Ⅲ)をこのページに掲載していたのですが、ちょっと場所が違うかな??という事で、欝日記のページにお引越しをさせました。 |
その後 2 | 2018年の6月からは欝が酷くなって、とうとう江古田に新しく出来たばかりの診療内科を訪問しました。 7月からは、10年以上行っていた大野病院を薬局の人のadviceに従って、糖尿病の専門医であるひかりヶ丘の(ひかりヶ丘の日大病院は閉鎖をして、練馬区が経営する総合病院に変わりました。)病院に行く事になりました。 勿論、紹介状を書いて貰ってのお話です。 9月に突然血尿が出たので、慌ててひかりヶ丘の病院に飛び込んで、検査を受けて、膀胱にポリフが出来ているという事で手術が決まったのですが、その時のCTでなんと7cm超の腹部大動脈瘤が見つかって、カテーテルによるステントの手術の予定になってしまいました。 ところがMRIの結果、カテーテル手術は難しいという事で、急遽、開腹手術になってしまいました。 |
ダイレクトに欝日記のサイトに飛びます。 サブタイトルは「愚痴とぼやき」というtitleになっていますが、それこそ此処の所はブログ風のメールのやり取りで、あまり病床記とは関係のない日常のお話ばかりがメインになってしまっているようです。 単なる日常的な愚痴ばかりになってしまっているので、ホームページに掲載する事は心苦しいので、(否、本当に少し、心臓が不整脈なので・・・)これからは、少し、なるべく掲載を控えるようにしようと思っています。 |
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人間、歳を取ると愚痴やボヤキが多くなるものです。 その中でも女性に関するものだけを中心に集めてみました。 |
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亀甲文字と言うのはご存知のように、ドイツの亀の子文字の事です。 もう、ドイツ人でも亀の子文字を読める人は少なくなりました。 |
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本来的には「戯れ(ザレ)句」と言うのは、男女のエスプリを描いた「エッチな都都逸」のような句を意味するそうですが、そこまで厳密には、分類していません。私の場合には、単に戯れ(たわむれ)の句と言う意味です。 左のイラストは、私がまだ若かりし頃(とはいっても30歳の頃ですが・・・。)行きつけの飲み屋で酔っ払ってピアノを弾いている所のマンガです! その飲み屋の、コーディネイトは頼まれて私がしました。 そこの飲み屋で偶然一緒に飲んでいたプロの漫画家の人が描いてくれました。 その場で、偶然知り合った人なので、お名前は失念してしまいました。 ごめんなさい |
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13年の6月の13日、私の初回のヴァイオリン科の月一lessonの日で、(ピアノ科の月一lessonは、もう2年近く前から始めていますので。)千葉に行って、lessonをしている時の夕方に、canonが死にました。咳き込むようになってから、未だ10日ぐらいしか経っていないのですが、心臓は、結構突然に来ますよね。 | |
ジーグとは教室のマスコットのシーズー犬です。 男の子です。 勿論、女の子はカノンです。 |
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原風景 | |
桜、桜、桜 | |
ヨージーの「女」の法則 | |
ヨージーの『忠告」の法則 | |
粋筋のお話 | |
携帯の話 | |
鬱日記 | 論文のネタ集よりも、もっと日記風ブログ風で、愚痴っぽい「世迷言」を書き連ねたメールを、論文のネタ集と区別するために、「鬱日記」にとしてoutlook上に集めました。 一番古い情報は2007年の1月10日の日付から始まり2008年の11月8日までのグループです。 次のグループは2009年の10月11日に始められて2011年の2月15日までです。 最後のグループは、2012年の3月の5日から2013年の1月19日までがupされています。 一番新しいoutlookに残されていたメール、所謂、世迷言を、少し追記、更新しました。 その前後の鬱日記は、パソコンの調子が悪くて壊れて、メモリーが壊れてしまったので、保存していた鬱日記自体がなくなってしまいました。 ・・・という事で、次の日記は、パソコンを修理した後の、鬱日記になりますので、書かれた日にちが少し飛んでしまいます。 「その後」のページに掲載していた鬱日記を、このページに日にち順に、割り込ませました。 その方が日常的に整合性があって分かり易いと思ったからです。 あちこちに鬱日記が散らばってあるのは、どうも面白くなかったので、思い切ってお引越しをしました。 ・・・・という事で、2011年からの鬱日記がこのページに記載されます。 |
仕事でしばらく旅行してから、疲れ切った私が、やっとハイツの自分の部屋に戻ってきて、そこで私を迎えてくれたのは、ほの暗い、それこそ欝になってしまうような、蛍光灯でした。 | |
私が未だ高校生や音楽大学生の時代には、真面目に日記をつけていました。 とは言っても、几帳面に毎日つけていたわけではありません。寧ろ、小説や詩の「ネタ帳」的な意味合いと、人生論見たいな所謂、雑記帳でした。と言うわけで、私のノートのタイトルは、日記帳としてのタイトルではなく、人生雑感とかのそのままのタイトルである事よりも、「幕妄想」とかの禅語を使用する事が多かったようです。中学生の頃から高校生の時までの雑文を纏めた雑記帳のタイトルが「幕妄想」でした。年頃で、妄想する事も多かったしね??ハッ、ハッ、ハッ! |
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病院では毎日の生活の時間割りが、実に規則正しく、小うるさく決められているのに、何と時計が部屋にはありません。 勿論、病人が時間を気にするようでは療養にはならないので、時計がないのは当たり前の事ですが「何時までには何処そこに診察に行け!」とか、「検査は何時からだから、それまでには薬を飲んで置くように!」とか、時間には兎に角うるさいのです。 それなのに部屋には、壁掛けの時計すらないのです。 矛盾しています。 という事で、私達患者は自分用の時計を机の上に置いてはいるのですが、患者としては、大部屋では、隣の人に対して、時計の 「時を刻む音」ですら、気を使います。 病人は、聞こえるか、聞こえないかの、ちょっとした音でも神経質になるものですから・・・・。 |
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ブログのように几帳面に、ではありませんが、折々に思う由無し事を、そこはかとなくパソコンに向かいて書き綴れば・・・・という事で、昔の雑記帳が、単にパソコンに変わっただけなのですが・・・。 私は若い頃から、メモ帳を持ち歩くのが苦手でした。 でも、記憶には結構自信があったので、メモをとらなくても、不都合を感じたことはありませんでした。 ところがやはり、40、50の声を聞くようになると、「ど忘れ」がだんだん始まってきて、今現在は、アルツハイマーの前兆なのか、隣の部屋に物を探しに行って、「あ~っ、これもあった!」と、別の物を持って来た途端に、何しに隣の部屋に入ったのかを思い出せなくなってしまいます。 特に、文章を書いていると、言葉を思い出せなくなってしまっているのに、驚かされます。という事で、若い女の子達に(とはいってもハタチは過ぎているのですが・・・)「help!」とメールを送って、・・・・な時に言う言葉なのだが・・??と、助けを求めるのですが、これが、今の若い子は言葉を知らないから、困ったものです。「えっ?!!そんな言葉があったのですか?」だもんね。 健忘症が酷くなったので、携帯をメモ替わりにして、そのまま自宅のパソコンに送ります。 件名に「買い物メモ」とか、「論文のネタ集」とかを、単語登録しておいて、パソコンのoutlookで自動仕分けをさせます。 忘れなければよいのだから、文章を打つ必要はありません。覚書でもなく、単語の羅列で充分なのです。 もっと私の文章があくどいのは、全てのパソコンに私の使用する常用単語が単語登録してあります。 それで、rbと打つと論文と変換されます。 aで芦塚、yで陽二と変換されるのです。 この「です。」という単語は「d。」で変換されます。 だから、パソコンに送る文章は、「12:24cbksxmkasbsbtvsnt」と打ちます。これをパソコンでそのまま変換させると、「12月24日千葉教室 クリスマス会 芦塚先生伴奏 Beethoven sonate」となります。 実はこの文章もそのように単語を変換させながら打っているのです。 左側の写真はKontrabassのlessonの風景です。(コントラバスは大人サイズの2分の1の大きさの楽器です。) Kontrabassとか、lessonだなんて、打つのは大変そうですよね。しかし、実際には、私はパソコンのキーボードには「kbのlsの風景」としか打っていないのです。 携帯は単語登録はパソコンのようには変換してくれないので、携帯のメールを打つときには、それこそ、「kbのlsのfk」なんて、暗号の様な怪し気なメールを自宅に送っています。 警察が見たら、疑われてしまいそうな、スパイのようなメールです。 ハッ、ハッ、ハッ! 送るメールは、単なる忘備録なので、箇条書きに過ぎません。だから、文章に起こすときに、その単語を補修しながら、ちゃんとした文章に近付けて行きます。 日にちをあまり開けないで、ある程度は訳しておかないと、あまり長期間、日を開けてしまうと、自分にもわからなくなる可能性があるのでね。 という事で、このホームページに掲載されている「論文のネタ集Ⅰ(rbn)」は、反古のような状態ですが、一応、メールで送られて来たそのままの文章では、他の人達には暗号のようなもので、何の事が書いてあるのかさえ分かりませんので、必要最低限は内容説明のための手直しがしてあります。 outlookには、こういった「論文のネタ集」と同様のメモを纏めるfolderが幾つか準備されています。 「ただの覚書」とか、「lessonに関する一時保存」とか、ホームページの素材の為のfolderもあります。 思い付いたネタの文章を携帯でパソコンに送って、仕事の合間に、本の少しでも、暇を見つけては、少しづつ弄って、段々本当の論文に近付けていきます。 この「論文のネタ集」はその過渡期(論文を書く前)の状態の反故になります。 |
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論文は思いつきでどんどん集めて行くと、その内に結構膨大なPageになってしまいます。 ですから、思い付いた文章を携帯からパソコンに送る時に、最初から第Ⅰ集と第Ⅱ集を作って、個人的な雑談やエッセイ集等を第Ⅰ集へ、音楽関係や教育に関するthemaの反故を第Ⅱ集に集めるようにしていました。 しかし、その内に、いつの間にか、混乱してゴチャゴチャになってしまいました。 その理由は、メモを書く時にはその文章がどちらの分類になるのか、分からないケースが多いからです。 その内に、どちらのZyklus(ぐるーぷ)に、何を書いているのか、どういう分類かも分からなくなってしまいました。 という事で、その次には文字の色で分類を始めました。 その内に、それもだんだんいい加減になってきて・・・・。。 まあ、ただのブログ風の雑文集です。 基本はメモ帳なので・・・ね。 悪しからず・・・! |
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以下同文の、ネタ集です。 まだ、完全に貯まった状態ではありませんが、取り敢えずupしておきます。 |
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今までの教室のhomepageであった芦塚音楽研究所のsiteを、研究所の説明のPageに改訂しました。 | |
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