「その後」というのは、当然、2005年(平成17年)8月2日の冠動脈のバイパス手術の後の、リハビリの様子の事です。


(手術後の光景俎板の調理済みの鯉)
あまりにも、Y病院と自宅が離れているので、F先生からの進めもあって、普段、通う病院を自宅の近所で探す事になりました。高速を使って車を飛ばして、2時間以上掛かって、病院に通っても、普段の病院の検査はせいぜい血液検査と心臓の音を聞くぐらいで、後は問診だけで、薬を貰うだけだからです。

後は、たまに心電図と半年に一回か,一年に一回ぐらい超音波で心臓を見るぐらいしかしない。
それなら、わざわざ、大変な思いをして、Y病院まで通わなくても、近所の病院でも見れるし、それよりも、別の場所、例えば、血糖のcheckとか、心臓以外の他の診察や検査もやった方がよいから、というF先生のアドバイスでした。

そういうアドバイスもあって、次回のY病院の診察は来年(1年後)の4月頃に改めて電話をして行く事にしました。
とりあえずはF先生に、紹介状を書いてもらって、自宅の近場の病院に通うことにしました。
同じ練馬区で、以前、逃げ出してきたN病院や直ぐ近所のS病院に戻るのは絶対に嫌なので(SW病院の先生達は逃げ出したN大学病院からの派遣の先生ですからね)、同じ大学病院であるJTD病院に行く事にしました。科の数が多いので色々な病気を診て貰うことが可能であるからです。

しかし、本当の理由は、テレビでその大学病院の学長先生の患者に向かい合う姿勢を見て、感激したからです。そういった病院ならば、診察をするお弟子さんである先生方も同じような姿勢と、信念を持っているのに違いない。・・・そう思ったからです。
しかし、現実はテレビの世界とは違って・・・



2008/05/29 (木) 17:02(兄貴へのメール)
今日は練馬高野台のJTD病院大学病院に行ってきました。
前回のY病院の診察で近場の総合病院に行くようにF先生からアドバイスをいただいたからです。
確かに問診だけで薬を取りに行くにしては、Y病院は遠すぎる気がしました。
心臓に関しての診察はY病院では1年に1回程度でよいそうなので、「来年の4月に再び診察に伺います。」ということで、余命5年のN大学病院やへぼ医者のS病院はイヤなので、JTD病院大学病院に紹介状を書いてもらいました。
ということで2カ月ぶりに、今日初めてJTD病院での診察を受けたのですが、新しい先生とはドラフトの血管の寿命(耐用年数)の話になって、7年ぐらいで再び血管が詰まり始めるという事を言われていました。

それで、私としては、その先生に、「もう一度手術をすればよいのですか?」と尋ねたら、
「ドラフトする血管がもうないので、バイパス手術はもう無理で、なんとかステントでやるしかないでしょう。」という結構、つれない、暗いお返事でした。「前回のようにステントが無理なら・・」というと、「それはやることないなあ~」という投げやりな、「出来ない事を言われてもしょうがないよ!!」という風な態度でした。

当然、バイパス手術をしてもう3年経っているので、後、余命4年という口ぶりでした。
今現在、「扁桃炎かもしれない。」ということで、喉の痛みやその他の病状についても話そうとしたのですが、話始めても、相変わらず循環器の先生らしく、ドラフト以外のことにはまったく興味を持ってもらえませんでした。

色々な病気が見て貰えると思ってこの病院に来たのに、これでは総合病院にした意味が全くありません。

と言うわけで今日は鬱っぽく自宅に、籠もるつもりでしたが、四日市の生徒のvideo撮りが残っていて、そうすることも出来ません。

いやまったく
「詰まったら、また切ってやるよ!」というY病院と、「切るのはもう無理です。」というJTD病院とは、随分言っている事が違いますね。


2008/05/29 (木) 18:35(兄貴からの返信)
まあ、それぞれの先生が、自分の持っている技術の範囲で誠実に答えたということにしておきましょうよ。
Y病院の先生は、JTD病院の先生以上の技術があるのだということですよね。
だから、今はあまり気にしないで、とにかく少し先を見ながら、、、
なんたって、お袋もよく言っていますけど、私も、あと何年生きられるのかなんて考え出したら、きりがなくなるし、何も手に付かなくなりますのでね。


2008/09/27 (土) 10:56(友人へのメール)
昨日は久しぶりの強烈な欝に陥って、大変でした。
病院に行く前の、2,3日はすこぶる元気だったのですが、2カ月おきのいつもの定期の(3回目の)JTD病院の診察があり、血液検査で30分以上待たされたあげく、心電図検査の後で、さらに2時間近く待たされて、やっと診察と言う事で、この3回いつものことですが、顔を見るなり、「ドラフトの血管には寿命があるからね~。ふ~っ!」とか深刻な溜め息から始まって、私の「そうなったらどう対処したら良いのですか?」と言う質問には、「ドラフトは採取する血管がもうないから無理だから、ステントをするほかは無いけれど、ステントができないとなると・・・・・!?」と口ごもってしまいます。
気を取り直して、「血管が詰まるのはどうわかるのですか?」と言う質問に対しては、
「それは・・・、各自、人によって違うから分からないのだよ。」との回答が来るンだもんね。

「では、私とすれば、どうすれば良いのですか?」と言う質問には、何も答えません。


ようは、ただ単に
「ドラフトされた血管は寿命が5年から7年だから、あなたの余命もそんなもんだよ。」と言いたいらしいのです。

そのあとですぐに、
「あなたは脂肪肝だから、大台から痩せなくっちゃ!そうしたら、脂肪肝の薬を出さなくって済むから!」とか言ってきます。


「余命が・・」と言って於いて、今更、余命がない人に対して、今更、「脂肪肝で・・・」と言うこともないと思いますがね!

ホスピスでは、食事制限だけではなく、酒タバコですら自由に飲み食い出来るのですからね。
だって、寿命がない人が、一日、二日、それで延命したって、意味がないのでは?

と言うわけで、病院に通うたびに、病気を治しに行って元気になって帰ってくるのではなくって、逆に、すっかり落ち込んで、病院を出る始末です。

それでも、引き籠もりになって、鬱って、飲んだくれている程には、自分の仕事は待ってくれないので、(欝のまま、落ち込んだまま、)仕事をしなければなりません。

検査と言っても、血液検査と安静時心電図だけで、後は定型の
「何か、お変りは無いですか?」と言うだけの問診なので、それなら無理をして、大学病院まで通う必要もないと思います。
近所の循環器の個人病院でも良いと思いますので、今は転院を考え始めています。

JTD病院にしたのはあくまで「大学病院なので、色々な科があるので、今調子の悪い色々な箇所を、担当の先生に紹介して診てもらえるのではないか?」と思ったからなのですが、循環器の私の担当の先生は私が何を言っても(病状を説明しても、)他の科には回してくれません。
つまり、循環器の症状以外は、興味が全くないようなのです。

同じJTD病院なのに、まず最初に、どっかの小さな病院で、JTD病院に紹介状を書いてもらってからしか、他の科を診てもらえないとしたら、それなら最初から個人の小さな循環器の病院に行っていれば、2時間も3時間も待つ事もないし、今の現状とは何等変ることは無いので、そちらの方が、よっぽど良いと思うのですが、いかがなものでしょうかね。

と言う事で、昨夜は仕事を終えて、自宅に帰り着いてから、夜中、飲んだくれていましたが、そのおかげで、今日は本調子とは行きませんが、だいぶ、気分が(すっきりと、というまではいかないけれども・・・)戻りました。
また気を取り直して、今日一日も頑張ろうと思います。





その後Ⅱ
今日は2011年の1月です。
実は、昨年の3月から、自宅の近所の循環器の個人病院に行く事にしました。
近いし、診察のために待つ事が殆どないからです。設備も最初に行った個人病院のように充実しているわけではないのですが、先生が一人しか居ないので、その先生以外の人が診ることもありませんしね。
薬もその病院の近所の私の弟子の生徒の母親が経営している処方薬局でもらうことにしていますので、30分で全てが終わります。親身に詳しく診てくれる分けでもない代わりに、変に病気の事を脅かしたりしないので、精神的に動揺することもありません。
「まあ、いいか??」の世界ですがね。


今日は2012年の1月の最後の日、つまり31日です。
2011年の後半は、あまりにも忙しかったので、自分のホームページに手を入れる暇さえ全くありませんでした。という事で、目まぐるしく時が流れて、「その後」をupしてから、あっという間に、もう1年が経ってしまいました。
その、超忙しくなった理由の一つは、昨年の7月頃からお袋の認知症が酷くなったために、8月と今年の年始めに2回も帰省をしました。
「芦塚先生は、冬休みはどうするの?」とH先生に聞かれたので、「お袋の認知症が酷くなったので、前後策を講じるために、急遽帰省します。」と言ったら、「それはお楽しみで、良いですね。」と返って来た。

(やっと、引き受けてくれる老人ホームが見つかって・・)
「えっ?!俺の話、聞いていたの??」 
どうやら、H先生には 
「里帰りは、楽しい」・・という発想しかないらしい。

私にとっては、里帰りは、たった一回帰省するだけで、何やかにやと、出費が30万近くかかってしまう。

私の場合の里帰りは、お袋の面倒や、家の営繕等のお袋に出来ない仕事や作業が待っているし、お袋周りの面倒は女手が必要なので、無理矢理、先生にお願いして長崎に付いて来てもらっている。

当然、その分の出費は私が負担する分けなのでその分の出費もあるし、家も傷んだ所を、自分の出来る限りは補修しなければならない。
クーラーが故障して修理不能だったから、クーラーを買って、冷蔵庫が壊れているのを、修理して、家の雨漏りを補修して、等々、本当に私が長崎に居る間は、てんてこ舞いで、この何年かは、一度も友人達と会った事もないし、「長崎ブラブラ」とのんびり街に遊びに行った事もない。

そういう自分のプライベートな時間を作る事が出来たのは、まだお袋が元気で、認知症も発症していなかった頃の話だよね。

私が「介護プレッシャーで、帰省の事を色々と考えると、欝がどうしようもなく酷くなります。」と言ったら、その先生、思った答えと余りにも違う返答が返って来たので、相槌の言葉に窮していたよ。
全く、想像がつかない答えが返って来たらしいからね。

お袋の認知症と前後して、5月には、兄貴が動脈乖離で緊急入院した。
最初に救急車で搬送された病院は動脈乖離の手術が出来なくて、救急車で病院を転院したそうで、その病院から私の所へ、深夜の11時過ぎに電話が掛かってきて、
「手術の同意に肉親のハンコがいるので、すぐに来てくれ!」という。
「今から車を飛ばしても、朝の4時、5時頃になりますが?」、というと、
「事後承諾は出来ないので、何時になってもいいから、すぐに来てくれ!」という。

仕方なしに、夜の11時に東京を出発して、房総の尖端の深夜の山道を、ナビを頼りに車を飛ばした。
高速道路を降りてから、それからの道の遠い事、遠い事!
着いたのは、もう明け方近くであったよ。
5時間以上かかったのだよ・・・??

2011/05/09 (月) 13:02
大動脈解離の緊急入院は緊急オペになるので、朝から、病院との電話でその対応で追われていますが、朝の10時頃に鴨川に出発しようかと思ったのですが、体力と気力が出ないので、無理やりになりそうな感じだし、2時間では辿り着けないと思うので、面会時間迄に着けるかという事もあるので、兎に角今はうだうだしています。
頑張って行けて明日かな?
今は、こっちの方が意識朦朧としています。

2011/05/09 (月) 13:44
今日のCTで、重篤な病気がもう一つ見つかったそうで、それも緊急性と死亡リスクが高いので、いつ手術が必要かという事が分からないので、早めに緊急手術の手続きをしなければならないので、事後承諾にならないように、今日中に来てほしいそうです。
だから今から鴨川に出発する事にします。
着替えたら、車で鴨川に出発します。

2011/05/12 (木) 18:03
もう一つ、今日のCTで重篤な症状が見つかって、朝から兄貴と**さんとメールのやり取りで大変で、先程、3時過ぎに朝食を少し食べれました!
肺に水が溜まっていて、それを抜くのに大変な苦痛があるそうで、医者としてはやりたくないのですが、水がある限り、血がきれいにならないし、手術も難しいので、今困った状態なのだそうです。
以下、そのメール!

ここの医者が一番きにしていることが肺に溜まった水。
これがあると血液の酸素か不足し、血液のじょうかきたいてきない。その場合肺に管を入れて水をぬくが患者に大変痛みと苦痛をあたえるのてやりたくないといっています

麻酔しては無理なのかな?

もちろん麻酔なしじゃ無理。
毎日やるのも無理
だから明日の検査をまっています

了解です。


明日の日曜日は千葉のオケ練習で月曜日の午前中に八千代の打ち合わせで八千代まで行くので、千葉泊まりになりますので、月曜日の午前中に八千代の打ち合わせを済ませて、そのまま、午後から鴨川に行きます。
車なので、何か必要なものがあれば、買って行きますので、メールしてください。

週末は顔色も良く酸素マスクも取れて、うまくすれば月曜日から食事が出来かもしれないとのことでした。
心配していた肺にも徐々に空気が戻りはじめているそうで今は経過観察というところです。

昨日は理学療法師さんが来てリハビリを開始しました。
といってもCCU を一回り しただけでしたが。わりにしっかり歩けていました。
ただ相変わらず血圧が高めなのと、夜にまた酸素マスクを付けられてしまったように、状況は一喜一憂といったところです。
月曜日、本人はラップトップが欲しいなどとほざいておりますが、それはともかく何か思いついたら直接ご連絡するそうですので、よろしくお願いいたします。

2011/05/17 (火) 0:50
パソコンから携帯にメールを送ったり、パソコンから携帯に送ったメールをさらに転送したりすると、設定で受信できないように基本的には設定されている機種が多いので、このメールも着くかどうか心配です。
昨日と今日の朝が千葉だったので、比較的早く鴨川の亀田病院に行くことができました。
水曜日には一般病棟に移るかもしれないということで、下着や寝間着のことを気にしていて、今着ているジンベイのようなひも付きの寝間着とトランクスを3着ずつ下の介護ショップに買いにいてほしいと頼まれました。
ということで、介護ショップに買いに行ったところ、なんとひも付きの寝間着は亀田病院のオリジナルだそうで、介護ショップには売ってないそうです。
またトランクスもLサイズは一つしか売っていませんでした。
江古田の近場の店で探してみようと思いますが、水曜日、木曜日と仕事が入っているので、郵送しようかなと思っています。
夕方も魚のお煮付けなどが出ていたようですが、8割方完食していました。

兄貴のパソコンはラップトップですから、写真を整理したり、ホームページを立ち上げたりするのは、結構息抜きの軽作業ではないかと思いますが、どうでしょうかね?
まあ、医者に聞いてからの話ですがね!?
いずれにしても、私は兄貴の家が何処にあるのかは知らないので、パソコンを取りにはいけませんのですが?
Sent: Monday, May 16, 2011 9:58 AM
Subject: Re:月曜日の午後に
ラップトップの件、思いつきで口にしたのを私がそのままお伝えしただけですので、どうぞあまりお気になさらずに。
さっきメールが入って、水曜日頃一般病棟に移れそうとのことです。
どうやら病室のテレビがpcとして使えるらしく、今設定してもらっているとか。
お騒がせして申し訳ありませんでした。





「その後Ⅲ」
兄貴の件が一段落すると、同じ5月の29日が八千代のコンサートで、それが終わると、すぐに四日市でレッスンをして発表会をやって、その後直ぐに千葉教室のおさらい会と夏の合宿をやって、それが終わると、直ぐに、四日市教室のlessonと発表会をやって、そのまま四日市から車で中国道経由で、長崎へ帰省して、介護士の方と相談したり、無くした書類やハンコ等を探したり、壊れたものや、使えなくなった物の対応をどうするのか?本当に時間がなくて「てんてこ舞い」です。

作業も出来なかった物や日にちに間に合わなかった事は、タイムリミットという事で諦めて、大急ぎでフェリーに乗って、東京に戻ると次の日から、な、な、何と!!
既に、夏休みは終わっていて、通常のlessonが再開します。

東京で、通常のlessonが始まると、「あ~ぁ、疲れたな~!」と、今、正に夏休みが始まった様な、プライベートのプレッシャーから逃れられたような、ほっとした感じです。
日常が始まる事が、私にとっての心の休みなのですよ。
可哀想に・・・・、オロロン、オロロン、オロロンバイ!!
つまり、今年も、体を休めるはずの「休み」が全く取れなかった・・・という話なのだが、毎年そうなので、仕方がないのかもしれない。

その後の、毎日の生活は、鬱の日は、外的要因と体力的な要因があります。
欝が起こると、心臓がパクパクと不整脈が起こるのか、それとも、不整脈が起こるから、欝になるのか?そこの所の因果関係は、医者に相談しても、よくわかりません。
少なくても、精神的な要因に関しては、私の方が詳しいからです。
だからと言っても、自分勝手な自己診断をするような性格ではありませんからね。
自分が信じていることでも、他人のアドバイスを必ず受ける事が、私の生活信条なのですから。
鬱の原因が外的(この場合には精神的という意味ですが)な要因の場合は、自分の心の置き所や落とし所が原因で欝になる事は絶対に全くありません。
だって、私の夢は、自分のやるべき仕事に疲れて、「もう、充分働いたから休ませてくれ!」という一言を言って死ぬのが夢なのですからね。
でもその仕事とは、自分の為の仕事であって、人の為の仕事で、疲れ切って・・・、という意味ではないのですからね。

私にとっての鬱の原因は、その大半が他人が引き起こす要因です。
しかも、その要因はその人達が私のRat(忠告)を聞かなかった事で引き起こされるトラブルなのです。
私のアドバイスを聞いて、その通りにしたのに・・・、というトラブルは、未だかって一度もないのですよ。
そして、人は私の忠告を無視したにも関わらず、その原因を私に求めるのです。
決して、自分達が私の忠告を無視したから・・とは思わないのですよ。
それを指摘しても、
「でも・・・、でも・・・・、」とその話からは逃げ回って、結果論でHelpを求めてくるのですよ。
誰かが、昔、言っていました。
「普段は居ないけれど、困った時だけの芦塚先生!」
10年経っても、20年経っても、人生に行き詰まったら、
「芦塚先生!!」
それじゃあ、ね~ぇ??!!

人の事を、構わなければ良いのでは・・? 
子供達(生徒達)を教育し、先生を養成するのが、私の仕事だから、
「人の事を構わなければ」・・とは、そうはいきません。
ついてこない人を全て切り捨ててしまえば、結局、最終的には、教室には誰も居なくなってしまいますよ。
そんなもんですよ。
仕事なんて・・!!

日常の疲れにはもう一つ理由があります。
その一つは、就寝時無呼吸症候群。
耳鼻科の先生達が対応してくれないので、諦めて、自分の自己診断で市販の薬を使用して対応しています。
点鼻薬とか、鼻炎カプセルとかです。
鼻づまりが酷い時には、起きた時に頭痛がしたりします。
勿論、疲れや欝も当然起こります。
もう一つは、トイレです。
腎臓がひとつしかないので、どうしても、寝てからトイレに起きてしまいます。
昨年の欝が酷い時には、朝までに5回も、6回もトイレに起きたりしていました。
という事で、寝が浅く・・、と言うか、寝が全く足りない状態で、一日中疲れが抜けなくて、仕事をするのも、とても辛のです。
病院の先生がコントロールをしてくれないので、自分で、鼻をコントロールし出して、少し睡眠が深くなって、トイレの回数も減って来ました。
基本的には、4時間から、6時間の間が通常の睡眠時間なので、(それ以上どうしても寝れません。)2,3回としても、1時間半とか、2時間しか寝れていないことになります。
ですから、睡眠の質を高める他はありません。

歳を取ると、人は老いを感じるようになります。
欝が酷く、体が全く動かない時や、体調不良の時には、「私は明日迄、生きていれるのだろうか?」と、深刻に思ってしまいます。
(でも、とっくの昔に私の事を、記憶の中から殺している先生もいるようですがね。過去の歴史上の人物として・・・。)
ところが、勝手なもので、不思議に体調がよく、体が思いの外、動いたりすると、これから先、後100歳になっても元気に生きていそうな気もしてきます。
人はその繰り返しをしながら、段々と、しかし確実に老いて逝くのです。

(ここまで、2012年1月31日記)


  





その後Ⅰ

index

その後Ⅰ
08年5月29日兄貴へのメールから9月27日まで

その後Ⅱ
11年5月09日から5月17日まで

その後Ⅲ
12年1月31日の文章のみ