鬱と男の更年期について
03,12,28日(江古田の寓居にて)
私の従兄弟達ですが、一番年上の年の離れた従兄弟は、55歳の時に、自宅の書斎のデスクで冷たくなっていたそうです。心筋梗塞でした。彼は私同様に肥満に苦しんでいました。テレビ局のデスクをやっていたので、仕事は結構ハードだったはずで、動く事は動いていたはずですが、商売柄、酒もタバコもやらないで、唯一は喉を潤すための飴玉が書斎のデスクの引き出しにいっぱい入っていたそうです。
次に従兄弟達で死んだのは、私に一番年の近い建築家だった従兄弟です。
彼は、59歳の時に、山奥の飯場に居た時に、飯場から風呂に行くために、車で山を降りて、風呂に行く用意をして、車のエンジンをかけて、ハンドルに手を掛けた所で、心筋梗塞で突然死をしてしまいました。
連絡を取れなくなった事に心配した彼の兄さんが、色々と手を回して何とか見つかったのですが、山奥の事で、発見されるまでに一週間もかかったそうです。だから、死体の状態は最悪の状態で、真っ黒に変色してしまい、死臭を取るのに葬儀屋が大変な苦労をしたそうです。
その従兄弟は、設計士という事もあり、彼自身が空手家でもあったので、酒、タバコはともかく、やせ型で、スポーツマンで、心筋梗塞とは無縁と思われたのですがね。
従兄弟達の行動を見ていると、活動的で、とても鬱だったのかどうかの想像は付きませんが、いづれにしても、従兄弟達とは、あまり付き合いがなかったので、そこまでの状況はよく分かりません。
いづれにしても、従兄弟達二人が、共通の心筋梗塞で死んだのは、代わりありません。
彼等が、精神的に追い込まれていたとは、思えないのですが、少なくとも私の場合には鬱が、心臓の病の原因になっている事は、否めない事実だと思います。
私は、50歳を越した辺りから、現在まで延々と、もう10年以上も鬱に苦しんだのですが、その長い長い鬱の期間の中でも、55歳の2000年から、58歳の今年の一月(03年)までの約三年間は最も鬱の激しい期間でした。
対人的な精神的な強いストレスをもたらす問題だけでなく、肉体的にも心筋梗塞(冠動脈)を思わせる症状が現れたり、腰痛の悪化に苦しんだり、体中の力が抜けてしまったりしている事を感じていたある日に、突然E.Dの状態に陥ってしまいました。
つまりどういう状態になっても、penisが勃起不全になってしまうのよね。
それだけなら、別に問題は無いのだけれど、penisと同じように体が全く反応してくれないのよね。
精神的には(心では)体を動かそうとするのだけれど、一生懸命体を動かそうとしても、体が言うことを聞いてくれなくて、体中がかったるくって、歩く事はおろか立ったり座ったりする事すらままにならない、と言う状態になってしまったのですよ。
当然、精神的にもマイナーなことばかり心の中に浮かんできて、性的な心(感情)を持つどころか、「生きて行こう」といった人間の基本的なリピドーさえ失われてしまいます。
何とか、自分なりにも、精神的にも肉体的にも追い詰められた状態を抜け出そうと、「どうしてそうなったのか?」、自分なりにその原因を研究し追究していきました。
体の不調を感じ始めてもう10年近くにはなります。
私が体の不調を訴え始めたその頃は、まだ「男の更年期」と言う言葉は無かったので、最初は「ただ単なる肉体的衰えか、体調不良かな」と思っていました。
しかし段々「今日はすごく体の調子が良くない。」とか気分が優れずマイナーに日常を送ったりする日が増えてきて、大して分けも無いのに落ち込んでしまう日々が増えてきました。
私達には、体や精神状態が鬱であろうと摂眠障害であろうと、容赦なく仕事の時間は来ます。
次の日に仕事で、「朝○時迄に起きなければならないと。」言うことは、またまた、「眠れないのに、起きれるだろうか?」と言うプレッシャーとなって、更にイライラをつのらせ、鬱の状態を更に悪化させてしまいます。
自分なりに症状を調べていく内に、私の症状が、女性の更年期の症状に著しく似通っている事に気が付きました。
それで私の周りの人達に「僕は男の更年期中だ。」とよく冗談を言うようになりました。
皆は私が冗談を言っているのかと思って「何を言っているの?!」と笑い転げていました。
それから何年かたったある日、生徒の一人が「先生!『男の更年期』という本がでたよ。」と教えてくれました。「えっ?!」と驚いて、さっそく本屋に問い合わせて見ると、漫画家の原たいらさんという人の書いた本でした。
買い求めて読んで見ると、私と同じ経験を原さんもしていて、私以上に「じたばたと」何とか状況を打開しようと、暗中模索していた事が、良く分かりました。
と言うことで、この欝の状態が特別なことでは無く、一般の人にも起こりえる症状である事が分かって少し安心をしました。 ・・・・とは言っても、何の解決にもなってはいないのだけどね。
そうこうしているうちに、「男の更年期」はマスコミにもよく取り上げられるようになってきました。
私自身も、精神的にも肉体的にも追い詰められた状況から何とか抜け出そうと、「男の更年期の専門の病院」を一生懸命探しました。
しかしながらTVや本などで、あれほど騒がれているにもかかわらず、実際にその手の病院を探し出すことは困難を極めました。(当時は全国で見ても3箇所ぐらいしか男の更年期外来を持っている病院はありませんでした。)
医者や一般の人達から冷笑を浴びてしまう「男の更年期」とは違って、一見当たり前であるはずの「女性のための更年期の専門の病院」ですら、この大東京にわずか3件しかなかったのです。
現在、ヨーロッパやアメリカなどでは、もう「更年期の苦しみを耐える」という考え方はありません。加齢による一つの症状として、治療の対象となっているので、その人一人一人にあった療法を受けることが出来るのです。
後日談ですが:
05年の9月になって某国立のTV局のドラマで女性の更年期を扱っているドラマがありました。
その中のきわめて重要な場面で、主人公の友人の女医が主人公の女性に「貴女は更年期だから辛抱しないと仕方が無いのよ。」と言っていました。
男の更年期の話ではないのですよ。女性の更年期の話なのです。
今はもう、日本国の国立テレビではなくなったとしても、今だに視聴料金を徴収しているテレビ局としては、もう少し、啓蒙的な所があっても良いのではと思いますがね。
この文章を書き始めてからもう既に、2年も経つのに、世間は何も進歩していないのよね。
03年の文章に戻ります。
(男の更年期の診断と治療をしている病院をやっと探し出したのは、この文章を書き始めた2,3ヶ月前のことです。)残念ながらその大学病院が私達が住んでいる江古田から非常に遠く、また交通の便も悪いので、とうとう私は行く事が出来ませんでした。
今年(03年)の2,3月から(更年期の時期を抜けたのか)幾分、精神的にも肉体的にも軽くなってきました。
という事で、やっとこの文章を書く事が出来るようになりました。
それと、この数年間ですっかり弱ってしまった体力の改善のために、三月末から一日一回、カノンと一緒に散歩を始めました。
カノンは教室で飼っている牝のシーズーのマスコット犬です。
シーズー自体がもう既に、小型犬なのですが、カノンはその中でも超小型の方で、シーズーの体重の下限ぎりぎりの3.5Kgしかありません。
カノンは、ワンちゃんには珍しく、お散歩が嫌いです。
だから、他のワンちゃんのように、ルンルンと飛び跳ねるように、歩いたり走ったりはしません。嫌々ながら、うだうだとポテポテとゆっくり歩くだけです。
最初の頃は、カノンの「うだうだ(?)散歩」ですら、心臓がバクバクして、一緒には歩けなかったのですが、三カ月目くらいからは何とか(ゆっくりと心臓の脈拍に気を付けながらですが)歩けるようになりました。
しかしながら、それではとても、体力の回復とは言えない状態で、疲れが溜まっていたり気候の激変があったりすると、もう、肩や心臓、手の先まで冷たく(あたかも死人のように)硬直してしまいます。
病院ではまだ診てもらってはいませんが、もちろんE.Dの方も全く悲惨なままです。
フロイトの言うように、性的エネルギーが、人間の生エネルギーなのかどうかは分かりませんが、EDになった途端に、生きようとする力や前向きに人生を考える(メージャー思考)などが、全く起こらなくなってしまったような気がします。
まあ、本来的には逆なのでしょうがね。
体調が不良だから、EDになるのですよ。
EDは結果論に過ぎません。
気力が萎えている時には、普段だと、何気ない事でも、何気なく立ち向かえることでも、体全体のエネルギーを搾り出さなければ、やっていけないのです。
それが所謂、中高年の自殺の原因となるのです。
つまり結論的に言うと、「生きている事自体が辛い。」のですよ。
普通の人から見ると何でもないちょっとした事で、「何で自殺したのだろう?」と分からないような事でも、エネルギーを搾り出さなければ、体が言う事を聞いてくれない鬱の人にとっては普通の健康な人の、生き死にの掛かった大病と同じになるのです。
といった事で、気力、精神力で、なんとか体力を維持している状態なので、教室内でいろいろな問題があったりすると、体の力や心のバランスが崩れてしまい、生命力(生きていこうとする気力)さえ失いがちになります。
「このまま楽になりたい。」と・・・。
しかしながら二、三年前はほとんど毎日が、そういう考え方に囚われていたのに、現在では月のうちに一、二回程度までに抑えられるようになりました。
担当の医者が舌を巻いて、驚いていたセルフコントロールのテクニックです。
男の更年期は、女性の更年期と同じで、内臓の老化やホルモンバランスの狂いによって引き起こされます。
更年期というものが医学的にもっと検証されて、(内臓の老化は致し方ないとしても、)ホルモンバランスの狂いは投薬や注射などで是正することができます。
(一般的には、女性の場合は女性ホルモン、男性の場合は男性ホルモンが不足すると考えられがちですが、実際にはそんなに単純ではありません。
加齢による老化は体のありとあらゆる臓器の機能を低下させていきます。
結果として、生存に必要な微量物質が不足し始めます。
それらの必要微量物質は個人個人で微妙に変わってきます。
それらを適正な量だけ補わなければなりません。
この治療がうまくいくと、1回か2回の注射と投薬とで劇的に症状が改善してしまうようです。
もちろんこの療法でうまくいかない人もいるようです。(どんな治療も100%とはいかないものです。
ですが7割近い人には改善が見受けられるのも事実なのです。)
しかしながら日本の現実の医療現場は旧態依然とした、「男には更年期は有り得ない」「女性の更年期は、加齢によるのもで、病気ではないのだから辛抱するほかはない。」という考えが支配しております。
私もかかりつけの病院がありますが、主治医に、この何年間も「欝だ。」とか「EDだ。」とか言い続けて来たのですが、「精神的な問題は範囲外」とでも言わんばかりに無視されてきました。
ましてや循環器の先生に「冠動脈が・・・」とか「動脈硬化が・・・・」などというと、素人が何を言うとすっかり馬鹿にされてしまって 「いや、心電図には異常は無いから」とか言われて、一笑されてしまいます。
(・・・・・ここまでの文章は03年に書かれています。)
03年の文章に戻ります。
男性の五十歳から六十歳にかけての自殺が圧倒的な数に達していることは周知の事実です。
私の友人の幾人かも齢50を過ぎたあたりで自ら命を絶ちました。
「この時期さえ乗り越えられたら、自殺しなくとも何とかなったであろうに。」と、胸が痛む思いがします。
しかしながらそれを更年期と結び付けて考える人はいまだ数少ないようです。
私が「EDだ。」とか言うと、医者はそれを「SEX(性生活)のことだ」とのみ考えるようです。
確かに中高年の人にとってSEX(性)の衰えと言う事は、若い人達が考える以上に深刻な問題だと思います。
「夫がEDになった」という、そのショックで自殺をしてしまった、女性の話を聞きました。
私の場合にも、その時期に、私のもとで勉強をしていた、先生達が教室を離れて結婚をしたり、EDとは無関係のはずの子供達が、相次いでやめて行ったりしていますから、あながち、先生としての魅力は、寧ろ、男の魅力・・・所謂sex・・・appealのようなものに因るものが多いのかな? ・・・とも、思ったりしています。
そういった、周りに与える影響よりも、寧ろ、それ以上に本人にとって深刻な事は、「人間が生きていくための気力」のようなものが失われてしまい、何をやるにも、その気が起きないようになってしまい、その時期、その年齢の人達にとっては、非常に深刻な結果を生み出してしまいます。
TVなどで「EDは治る病気だ。」とか言って宣伝しているようですが、良く調べてみるとそのほとんどはSEXlife(性生活)のみを指しているようです。
だから、「EDには、バイアグラを処方すればよい」、とすこぶる安直に思っている人達が殆どのようです。
心のやる気を伴った、本当の意味での男の更年期の社会的な理解は、まだまだのようです。
ここからの文章は05年2月の冠動脈の手術の前に書かれた文章です。
突然、話は二年後(03年の文章から05年の2月)に飛びます。
その間に少しはよくなったのかもしれないと思っていた、欝の症状はただ私の意思の力で一見改善しているように見えたに過ぎなかったことが分かりました。
つまり、生命の危機を、この3,4年の間に迎えていたのです。
先ほども同じ事を書いたように、医者からは「よくこの3,4年間に心臓が止まらなかったね。」と言われました。
思いのほか心臓が強かったのだそうですが、それがある意味では病状の発見を鈍らせてしまい、はたまた、ある意味では、突然死から私を救っていたのだそうです。
いずれにしても私自身の「何かしら、何処かがおかしい。」という主張が若い先生の大学病院の精密検査と、血管造影の検査を決断させて、それが結局、冠動脈の血栓の発見に繋がりました。
「何故、ここまで酷くなるまで分からなかったのか?」という私の質問に対して、他の医者達は「酷くなったとしても、突然死を迎える前に、病院に精密検査に来た事、それを持って良しとしなければいけない。」といっていました。それぐらい動脈硬化の発見は難しいらしいのです。
冠動脈の手術(8月2日の)後の文章です。
ハイツにて自宅療養中
05年8月18日
現在は心臓のバイパス手術が終わって、病院を退院して自宅療養しているところです。
退院してやっと一週間が過ぎた頃、TVを付けっぱなしで、コンピューターをいじっていたら、TVでEDについての話をしていました。
何気なく見ていたら「EDの症状が動脈硬化や心臓病の症状になる。」というう事を言っていたのです。
良く振り返って、考えてみると、確かに「EDだ!」と言い始めた頃(悩み始めた2000年の頃)と、「心筋梗塞ではないか?」と不整脈や肩の異常な冷えや心臓の周りのキリキリとした痛みなどが出始めた頃が、冠動脈が詰まり始めた頃と一致している様に思えます。
「不整脈が出るから」と言って、内科の先生から、心臓の循環器の先生に診て貰うようになったのも、ちょうどその頃からです。
何をいまさら、ただの結果論ですけどね〜?!
もしこのTVが3,4年前にあったとしたら、少しは変ったのかしら?
いいえ。それはないでしょう。
問題は、冠動脈の検査がカテーテルの検査に頼っているからです。
カテーテルの検査は、それ自体が安全なものではありません。
それで、病院の先生達がなかなか冠動脈の検査に踏み切れないのです。
しかも、私の場合には、高校生の時に腎臓結核で左の腎臓を摘出しているので、残った腎臓に対しての造影剤の負担がきつすぎるのです。
つまり、これから、後一回、カテーテル検査をしたら、腎臓が機能しなくなる恐れが強いのです。
そうすると、一日おき、二日おきに透析をしなければならなくなります。
今の私の体力、体調では、透析を続けるのは、ちょっときついかな?
だから、そういった体や気分の症状が前回の症状と同じ時が、再発と考えて病院に駆けつけるように、と言う医者からのお達しでした。
もう少し、体に優しい診断方法が出来れば、心筋梗塞や冠動脈で死ぬ人もすくなくなるとおもうのですがね。
色々な動脈硬化の症状が、やっとテレビでも取り上げられるようになって来ても、そういった症状が病気の判断材料として、医者の間で認めてもらうようになるには、まだまだ何年もかかりそうですよね。
いや、そう言った症状は、単なる症状の一つにしか過ぎないので、それを持って判断の基準にはならないでしょうね。
やはり、新しい、診断方法を開発しないと無理でしょうかね。
2013年7月のお話です。
何と、造影剤を用いなくても、CTやMRIが出来る3DMRIが出来ました。
要は、先ず3Dで血管の詰りを心臓や頭部の撮影をして、それで、問題の箇所が見つかったら、その時に、手術をすると、造影剤を用いたとしても、必要最小限の使用で済むからです。
但し、未だに保険が効かないそうで、自費負担になるそうで、所要時間は3時間程度で、12万ぐらい掛かります。でも、3ヶ月待ちだそうです。
2013/07/06 (土) 21:54
心臓の3DMRIの検査が出来るのが飯田橋にあるそうです。ついでに頭の血管も観てくれるそうです。
超混んでいて、9月以降じゃないと予約が空いてないそうです。
予約していいですか?
2013/07/07 (日) 3:29
問題点は二つあります。
MRIも3Dの場合には、保険は効くのか?
保険が効かなけれぼ、8月に長崎行きで、30万ぐらいを見積もらなければならないので、とても、20万、30万は払えません。
保険が適用される場合には問題は何もないのですが。
もう一つは、3DMRIが個人の病院の場合には、そこで、問題点が発見されたとしても、手術をするときには、別の病院をまた探して、検査のやり直しをさせられる事です。
また、その個人病院で手術が可能だとしても、心臓や頭の手術の技術は非常に難しいので、個人でそれだけの技術を持った先生がいるのかどうかが不安です。
9月の検査には何の問題もないのですが、その2点を調べて見てください
2013/07/08 (月) 11:07
今の所大野さんが薬を適合させるのに、四苦八苦しているので、薬のバランスが取れれば、不整脈もある程度は治るかもしれないので、もう少し様子を見る事にしよう。血圧が安定しても不整脈が出るようなら、その時に予約を取ります。
その場合は13万の出費もやむを得ないだろうよ。
大野さん、結構強気なのでね!!
もう少し、まかせてみよう!!