原風景
夜、江古田の事務所からハイツに帰る時に、エレベーターから5階で降りて建物の一番はじの自分の部屋まで歩いていく途中で、よく人間が死ぬ時に最後に見る自分の町並みの原風景であるかのような(或いは、自分が死ぬ時に見る最後の景色であるかのような)錯覚に陥ることがある。今の日本(というかヨーロッパも含めて)の住宅の高さは基本的に2階屋である。と言う事は、死者が見る町並みの高さは5階か6階程度であろう。それ以上の高さだとすると、生活感がなくなるからである。人が生きていて家々で生活をしている。それを感じさせる高さは5,6階を越えない。夜、疲れて家に帰るときに、ふと死んであの世に旅立つ途中のような感じがしてどぎまぎすることが良くある。
高校の時に大手術をしたが、手術室から長い長い渡り廊下をストレッチャーでガラガラと(当時のストレッチャーは車がガラガラ音を立てていたのだが)部屋に戻った時には意識はあったのだが、人は僕が意識が戻ったことを誰も知らなかった。友達が「頑張れよ。」とか必死に声をかけていた事とか、ベッドの周りに誰がどういう風にいたかをしっかりと記憶している。不思議なことにベッドの左足の上方からベッドに寝ている私を含めて周りの見舞い客が誰だったかを見ていた。後日、僕が見舞いの人たちがどういう順番でベッドの回りにいて、何をしゃべっていたかをはっきり憶えているので皆が驚いていたのを記憶している。本当はまだそのときには、意識は戻っていなかったのだそうだから。夜になって完全に意識が戻ったときには、基礎麻酔も含めて麻酔が切れてしまい、地獄の苦しみを味合うことになる。(麻酔係のミスで麻酔が深くかかりすぎてしまい、覚醒させるのも急激にせざるを得なかったということらしい。)というわけで私がそのときのことを記憶しているはずは無いのだそうな。と言う事は、幽体離脱を経験したとでも言うのであろうか。心理学的に言えば無意識下で立体的に再構成された記憶とでも言うのだろうが。私は別にどちらでもかまわない。
いずれにしてもこのハイツの5階という高さは精神的に良くない。私にとっては死への旅路の最後の原風景を懐かせる高さなのだ。