ヨージーの女の法則
04.01.11
短詩「私は好きだ。」
不器用な人間が、私は好きだ。
今日日の日本は全てが満たされているように見えて、しかも軽薄さに満ちている。
もう既にそこにいる困難を見つめようともしない。
夢や仕事、恋さえもただ一途になれる人・・・、そういった人が私は好きだ。
04:1.10
ヨージーの恋愛による裏切りの法則
恋愛関係は信頼関係に於いて成り立っている。よって人は容易に裏切られ傷つく。しかし社会の人間関係に於いては、相手を裏切り騙す事は日常であり当たり前のことである。だからその事によって、傷つくことは、少ない。ヨージーの恋愛による裏切りの法則
Yo-ji-の恋愛による噂話の法則
(男と女の話は、女性にとっては、)
面白くも、おかしくもない真実の話より、愛憎の溢れた御伽噺の方が真実味がある。
無知が愛らしさと感じられる時期
女の子にとっては、そのだらしなさや無教養な部分が可愛らしさと勘違いされる時がある。子供の時や少女時代などである。しかし加齢と共にそれらは醜悪なものに取って変わってしまう。
ジェラシー
女性特有のジェラシーは、特に相手のことに対して好意を感じているから引き起こす分けではない。相手に対して好意や恋愛感情をもっていなかったとしても、その相手に別の誰かが愛情を持って接すると、とたんにジェラシーを引き起こす。
ジェラシー、その2
ジェラシーを「愛ゆえに」と思う蜜月期
(直ぐにjealousyはただのjealousyにしか過ぎないと言う事に気付くのにね。
他人を見る目
女は人間という男を信じない、女が信じるのは相手から受けるフェロモンである。
(そして結局フェロモンだけのどうしようもない男に引っかかってしまう。)
女が女で無くなる時
女は結婚することによって、妻となり、子供を生むことによって母となる。
日常的な当たり前のことで、女がそれを望むのは極自然なことだが、しかし、その望みが時として絶望に変わる事がある。
何故なら、今の日本では主婦や母親に対して(世間は)女としては認めないからである。
子育ての労働からある程度解放された女は、あるとき突然、周りからも、
或いは自分を一番理解しているはずの夫からも、女性として、或いは女として
見られていなくなっていることに気づく。自分という立場でなく、○○家の妻としての自分、或いは○○の母親としての自分、しかし、それは自分個人として見られているのではない。ましてや自分が女であると言う事を認めてもらっているわけではない。
それでも自分が自分で無くなっている事に満足している人は、それなりに幸せなのかもしれない。
しかし、自分を個人として見て欲しい人は、現実とのギャップに空しくあがく。
04:3:21
一夫一妻制
一夫一妻制というのは,純潔教育に於いてのみ成り立つ。
男をとっかえひっかえしている女が世間に、一夫一妻制を唱えることは、笑止であり滑稽の極みである。それはただ単にジェラシーのなせる業である。
誰の言葉であったか、失念してしまったが(多分19世紀の人であったと思うが)
「人は一生の内に、一人の子供か、作品か、仕事かを残せばよい。」と言っていた。
フェロモン
女は男の心に魅かれるのではなく若さとフェロモンに魅かれてしまう。男気などというかっこよさを表わすような言葉も、所詮はフェロモンを表わしている。
どんなに大変な思いをして坂道を登ったとしても、下るのは一瞬である。どんどん加速して落ちていく。
どの様に苦労して得たものであったとしても、失うのは一瞬にすぎない。
ヨージーの法則
人は「こんな人にだけはなりたくない。」と,言いながら、いつかその人のようになってしまう。
相談相手B
人が相談相手を選ぶときは、「こういう答えがほしい。」という願望から人選をする。
もしもあなたが他人からどう見えるか、知りたかったら、あなたの友人や恋人は、どういう人かを考えてみればよい。それがあなた自身である。
アーリーmy loveより
本当の愚か者は、幸を見過ごすほど現実的な人だ。
フランシス
今成すべきことは、自分がなりたい自分になるために下準備をする事だ。(**へのアドバイス)
ヨージーの相談の法則@
人はその悩みを「誰に相談するか」で、回答に何を求めているのかが分かる。
相談相手A・・・ヨージーの法則
人は相談相手に自分の潜在的要求を満たしてくれる回答をしてくれる人を望む。
男と交尾したがっている女性は常に男を潜在的に欲求している人(女性、男性を含めて)に相談を求める。
女心の法則
女心とは霧のようなものだ。形があるようで無く、掴もうとしても掴めない。そこにいると思っていると、いつの間にか消えてしまう。
寺田寅彦の随筆集第4巻に
「頭のいい人には恋が出来ない。恋は盲目である。」と言う一節がある。
迷中又迷
それでも人生は又めぐってくる。
言葉の話
私がまだ日本に帰ってきて間もないころ、私の作品の試演をさせるために、私の後輩のプロ活動をしているヴァイオリンの女の人を呼んだ。
あるパセージで、私が「そこのところは、もっと色っぽく!」といったら、その人が「色っぽくという事は、『感情を込めて』という事なのですか?」聞き返してきた。
その言葉に私は愕然として、「こりゃだめだ!」と諦めた。日本人の女の人が26,7になって、色気という言葉すら知らない。
現代では「色っぽく」と言う表現と「エロっぽく」という言葉のニュアンスの区別がついていない。というより、「女らしさ」とは、より安直な「エロっぽい。」という言葉と勘違いされている。
貞淑の話
これから結婚すると言う女性に貞淑な女性についての話をしたら、「貞淑って何ですか?」と聞き返された。ホンと、皮肉じゃなくってよ!「じゃあ、貞操って言う言葉は知っているの?」と聞いたら、マジにそれも知らない。聞いたことも無いそうだ。
「でも結婚するのでしょう?」
結婚式で誓うあの有名な誓いのシーン・・「貴女は生涯この男を夫として、・・・」と言う言葉、実はこれを、『貞淑の誓い』と言うんだよな〜!?
それも知らないで結婚式を挙げるのかい?
いやぁ!それは困った!!困った!