座右の銘

「一日不作一日不食」

私は中学生、高校生時代から、怠惰な自分をいつも悩んでいました。

「一日不作 一日不食」と言う有名な言葉は、その当時の私の生活を戒めるための言葉として、私の日常の生活の座右の銘としていた言葉でした。

蛇足ではあるとは思いますが、あえてこの話の由来をお話しておきます。

(私が高校、大学時代を通じて書いていた当時の雑記帳(日記帳?ただのノート??)のタイトルは、同じ禅語ではありますが、「一日不作・・」ではなく「莫妄想」と書いてあります。この言葉も「一日・・」に劣らず有名な禅語です。「妄想する事無かれ。」「雑念を抱くな。」 ・・とでも言う意味でしょうかね。)

 

「一日作さざれば 一日食らわず」
この有名な言葉は、唐の時代の有名な禅僧、百丈懐海(ひゃくじょうえかい)が言った言葉とされます。このお話の由来は、百丈禅師が八十歳の高歳になった頃のお話です。百丈は80歳を越しても、若い修行僧達と一緒に日々の作務(労働)をしていました。現代の日本では80歳と言ってもまだまだ若々しい感じがしますが、百丈は749年生まれ、814年の没の千年以上も前の人です。当時の中国の平均寿命は詳しくは調べてはいませんが、たぶん30歳ぐらいだったのではないでしょうかね。私も既に(よわい)60の還暦を過ぎていますが、私が子供の頃、見ていた60歳代のお年寄りは本当にしわしわの腰の曲がったお年寄りでしたよ。しかし、今日では映画の女優さん達を見ても、30代、40代の女性と60代の女性を見ても見分けがつきません。私の母も「今年は90歳だ!」と騒いでいますが、健康的には私よりも若いぐらいです。腰の曲がったお年寄りと出会う事も本当に稀になってしまいました。

 

但し、それは現代のあくまでも世界一の長寿国である日本でのお話です。

現代でも平均寿命が30歳の貧しい国があるのですからね。

話が横道にそれてしまいましたが、私が言いたかった事は、この百丈和尚さんのお話は、1200年も前の中国のお話なので、80歳、90歳という歳が、もし現代の日本の年齢に換算して判断すると、どれ位の年齢になるのかお分かりになれると思います。

弟子たちは超高齢の百丈の体を心配して、師匠に「作務をやめてください」と申し入れます。
ですが、百丈は弟子達の申し入れを頑として聞かず、作務を止めようとしなかったのです。

百丈の体を心配した弟子達は、百丈が作務を出来ないように、作務に必要な道具を隠してしまいました。さすがの百丈も作務ができませんでした。しかし、その日、百丈は食事をとらなかったのです。次の日も、その次の日も。さしずめ、ハンガーストライキかな?? 

それが三日も続いたので、さすがに弟子たちは心配して、師匠に、「なぜ食事を召し上がっていただけないのですか?」と尋ねました。
そのときに百丈が弟子達に答えた言葉が、この有名な「一日作さざれば 一日食らわず」という言葉なのです。
勿論、弟子たちは、すぐに師匠に道具を返しました。

 

現代の禅宗では修行僧にとって「作務」という作業は当たり前の労働です。

しかし、本来の古代の仏教では「作務」は厳しく戒められていました。

古代のインドの仏教では、出家者が自ら耕作をして食物を得ることを硬く禁じていたのです。そういう暇があったら精進しろという意味です。出家者たちは托鉢乞食(こつじき)や信者からの布施によってその日その日の糧を得なければなりませんでした。(インドや多くの国では今でもそうやって生活をしている僧侶達は多いのです。)中国でもその伝統がしばらく守られ、インドから中国に渡り禅を伝えた達磨やその弟子の時代には、そのような生活がされていたようです。

日本でも、セレモニーとしてはまだそういった托鉢を行っていますが、あくまで古代の仏教に学ぶという意味で、それで生活を全て賄うということはやっていないようです。

 

托鉢や布施だけで、生活をするという事は、信者が多い都市で、しかも僧侶が少人数であれば、それも可能でしょうが、中国禅宗は、都市を離れ、山岳地帯や田園地帯にその地盤を築くようになり、さらには四粗道信(580〜651)のもとには500人もの修行者が、六祖慧能(638〜713)の門下には僧俗合わせて3500もの人が集まったとされ、信者の布施だけで僧侶が生活をして行くのは、とても無理になってしまいました。

そのような寺院を取り巻く環境の変化にともなって、出家者たちは、生活の手段として自給自足の耕作労働をするようになったのです。

 

出発点は、たぶん、このようにやむを得ずになされた農耕労働でしたが、百丈懐海(749〜814)の時代辺りからは、その作務に対する考え方は「作務自体が禅である。」という風にその捉え方が変化して行きました。

その禅的な作務の考え方を代表して示しているのが、この「一日不作、一日不食」という言葉でしょう。

日本語としては「一日はたらかざれば、一日食らわず」と読みます。

 

「一日不作」の「作」というのは、作務すなわち労働を意味します。

例えお寺であろうと、生活をする限り、掃除、草取り、水まきや食事の用意とか、お寺にいる限りいろいろな作務があります。(というか、一人暮らしの私もたくさんの作務がありますよ。洗濯、や掃除など、ごみ捨ても・・・。一人暮らしだから、当然な事ですがね。)

言ってみれば、古代仏教で考えたように、作務は修行の妨げとなる雑用かもしれませんが、百丈以降の禅僧達に言わせれば雑用は既に禅の修業の一つなのです。つまり禅宗においては、雑用と思えても、すべての作務が禅なのです。食べることも、寝ることも、休むことも、なにからなにまで禅でないことはないのです。

また僧院といえども、その生活は多くの修行者たちが同居する集団生活です。集団生活には必ず規則が必要となります。禅院にも清規(しんぎ)とよばれる生活のための規範があります。

禅宗で初めて清規を定めたのが百丈禅師なのです。

 

ここまでのお話は百丈禅師のお話ですが、私は百丈さんとはお会いした事はありませんから、当然、色々な文献からの受け売りになります。

所謂、前振りということで、ここからが私のエッセイです。

 

「一日作さざれば 一日食らわず」という言葉は字面だけ読めば、「働かざる者 食うべからず」
と言っているようにも、思われてしまいます。

私もこの言葉とめぐり合った高校生の頃は、儒教的な勤勉性と同等の、怠惰な性格を戒める言葉として、(怠惰な私に対しての戒めの言葉として)捉えていました。

ストイックな禅僧の生活の厳しい戒律を表す言葉として解釈していたのです。

 

ですから、私の少年、青年時代は、言葉としては魅力を感じてはいたのですが、座右の銘としては、むしろ少しは優しげの(逃げ場所のある)、「莫妄想」や「一期一会」という言葉の方がしっくりと来ていました。

 

一期一会(いちごいちえ) (山上宗二記)という言葉は、千利休の門人の山上宗二が始めて言い出した言葉だとされているが、井伊宗観の「茶湯一会集」によって広く知られるようになり、「茶席での最も大切な心得」とすべき言葉のようになっています。

勿論、一期一会とは「一回しか逢えない」という意味ではありません。「この逢瀬が最初で最後の逢瀬のように、一生懸命に心を込めてお会いします。」と言う意味なのです。ですからその後、何回会っても、その都度 「一期一会」なのです。

 

こう言った禅の僧侶に対しての戒めの言葉は、音楽家(演奏家)にとっても、プロとして至極当然の言葉であります。

 

私がよく上級生の生徒に言っている言葉があります。

「自分が例えどのような状態であっても 95%の演奏は常に出来なければならない。」

それが私が考えるプロになるための最低の条件です。

(「何故、100%の演奏ではないのか?」と不思議に思われる方も居られるかと思いますが、それは至極当然のことなのです。私達が音楽を勉強していて、100%満足の行く演奏が出来た時には、演奏家をやめるときです。100%、・・・それは、自己満足を表す言葉であり、人生の行き詰まりを表す言葉だからです。)

 

「一日不作 一日不食」と「一期一会」の二つの言葉は、あたかも同じ勤勉性について言っている言葉のように聞こえますが、実は全く別の次元のお話です。

「一日不作 一日不食」という言葉は自分自身が自分の行いに対して戒めていますが、「一期一会」という言葉は自分が他人に対して如何に心を込めて接するのか、という意味も含まれます。自分に対してと人に対してでは、全く別の世界のお話になってしまうのです。

 

分かりやすく説明すると、「心を込めて・・」と言うのは「その時に出来る範囲で一生懸命に」、という事になりますよね。

学校教育の現場では、先生方や父兄達が、「子供が一生懸命努力したのだから、その努力を認めるべきで、成績で判断するべきではない。」とか、「努力に優劣は付けられない。」とかをよく口にします。曰く、努力そのものを評価する考え方です。

 

それに対して、プロとしての考え方は、物を売るためには、その物の水準が対価に必要な水準をクリヤーしてなければなりません。

ですから、「その水準に達していなければ、その人がどのように努力していようと、認めてもらえる事はない。」ということがいえます。

 

しかし、その事を別の立場で言えば、「努力をしなくとも水準に達していれば、努力する必要はない。」という事になります。

天才がいとも簡単に、楽々と出来てしまう事を、凡人がいくら必死に努力してもなかなか出来ない と言う、ミゼラブルな現実的な話が出てきてしまうのです。

つまり、心を大切にする日本人にはなかなか認め難い、西洋的な即物的唯物的なノルマという価値観の考え方になります。

 

しかし、教育ということを離れて、現実の社会では、会社が人を雇う場合、同じ仕事をするのに、12時間かかる人と、2時間でやってしまう人がいたら、どちらの方を雇うと思いますか?

そういった意味合いにおいて、教育社会は観念論的で情緒的で、現実社会では、即物的なノルマ制なのですよ。

いくら成績が良かったとしても一流大学を出ていたとしても、実際のノルマが達成できなければ社会では認めてもらえる事はないのです。

精神の問題と技術の問題は同時点では比較する事は出来ないのです。

 

私は55歳を過ぎたあたりから、心臓の病気や色々な持病に悩まされて、挙句の果てに病院では余命まで口にされてしまいました。

人は自分の余命を考える時には、自分が今までにどれほどの仕事をこなしてきたのかを考えます。また、時間が許す限り自分が遣り残した仕事を何とか全うしたい、と考えます。

どうでもよい無価値な雑用や、ただの無意味な労働に自分自身に残された時間の貴重さを推し量ります。

人は価値観を共有できる友人を見出す事が出来る時には、如何に幸福感に満たされるでしょうか?その友人や弟子達が技術的に如何に劣っていたとしても、それは問題ではありません。ほんのわずかな時間さえあれば、そして価値観さえ持っていれば、いつでも追いついてこれるからです。

しかし、逆に指導を受けたり、アドバイスをされる事に対して、何の価値観も持たない人に対して、その時間を費やす事は、自分自身に残された時間とやらければならない膨大な仕事の量を考えると、どうしようもない不毛な寂寥感を感じるのです。

1分、1秒が、もう人生が残り少ない私達にとっては、とても貴重なのです。

それが本来の「一期一会」の考え方なのです。

同様に「一日不作 一日不食」とは、「1分、1秒を生きていたい」という考え方であり、「何もしない」という事は、決して「生きている」とはいえないからなのです。

実は「一期一会」にしても、「一日不作 一日不食」という言葉にしても、安っぽい修身的な道徳的な勤勉性を説く言葉ではないのです。

 

社会通念上、一般的解釈としては、色々な文献等でもこの言葉を紐解くと、百丈和尚の勤勉さをうたいあげて、百丈が儒教的な勤勉性(努力しろ!)を身を持って後進に指導している言葉として受け止められています。

そういった歴史的な一般的な解釈に、私は高校生の時から、釈然としない疑問を持ち続けていました。

よくは分からないけれども、子供心にも「それは(その解釈は)ちょっと違うんじゃない??」と、疑問を持ち続けてきたわけです。

そして、還暦を過ぎたこの歳になって、私なりの、この言葉に対しての解釈は、「百丈さんぐらいの高僧になれば、社会に迎合するような修身的な教育的な言葉を言う程の俗物ではないよな?」と、いう事ですかね。