第三の選択(闘病記)
第三の選択といっても地球滅亡のお話ではありません。
あくまで闘病記の中のsecond opinionの次のお話です。


ともすれば、病気というのは現代医学の元で既に克服されたように感じてしまいがちであります。
しかしそこの所が、実際に今現在、病気で病院通いをしている人たちと、そうでない人達の差かも知れません。
戦後、医学は著しい発達をしてきたように言われています。
しかし、本当にそうなのでしょうか?
誤診についての問題が取りざたされるようになったのは、ほんのつい先日の話なのです。
それまでは医学界で誤診はあってはならないこととしてひた隠しに隠されてきました。
今日、誤診や医者の倫理などが取りざたされるようになったのは、この旧態然とした医学界においてもやっと情報の公開が叫ばれるようになったからに過ぎないのです。しかしながら未だ、誤診を認めず、診断の開示すらしていない病院の方が、まだまだ日本では大勢を占めています。

少年期からの私の病との戦いも、そういった誤診と誤った治療の間で、何とか(真剣に病気に取り組む)医者と病院を求めての旅でもありました。

例えばこの歳になって今、心臓の大手術を終わって、次に私が注意しなければならないのは、多分もう、循環器系の病気ではないと思います。

心臓の手術で一番怖いのは脳梗塞です。心臓のバイパスを手術で結んで、血液が一気に流れ始めると、詰まっていた血管に出来ている血の細かい塊が一気に血管の中に流れ出して、その微小な血の塊が脳に流れ込み、脳の中にあるとても細い脳の毛細血管を詰まらせてしまいます。そうすると血管は一気に破裂して脳の中に血液が流れ出します。これがいわゆる脳梗塞です。心臓の手術では常に脳梗塞の危険を伴います。いったん脳梗塞になると、一瞬を争う手術になります。そのために予防のために、あらかじめ首の血管を確保して万が一にそなえます。

          

私の場合には、今も両手両足が満足に動いているので、手術による脳の梗塞は起こらなかったようですが、手術から帰ってきてその日の内に、出始めている耳鳴りは全然(1年半たっても)なおりません。勿論、何度か主治医の先生には言いましたが、無視されてしまいました。(脳外科じゃないもんね!)
民間医療的に、怖い怖い脳梗塞や血管の詰まりを防ぐには血液が良い状態を保っている事が必要です。
しかし、いまはやりの血液サラサラは何処の病院で見てもらえるのかなあ?
今日求められる病院は、色々な病気に対して総合的に診断をしてくれて、そして専門の病院や医師を紹介してくれる、そういった病院ではないでしょうか?しかし、大病院はその窓口で患者に
「何科を受診したいのか、たずねてきます。」紹介状の有る無しで対応がまるっきり変わってきます。
当然人は言うでしょう。
「本来的には町医者がその役目を担うべきではなかったのではないでしょうか。」しかし、町医者自体が専門化していますよね。「おなかが痛いのだけど?」
それで胃でも風邪でもないとしたら次は・・・?何処で何を見てもらったらよいのでしょうか?病院巡りのお遍路さんと言いますが、判断がつかなきゃどっか別の病院に行かなきゃ困るモンね!今度は、何処行きゃいいの?何科の先生に診てもらえばいいの?素人はそれすら分かんないんだよ!

1、高校時代
(17歳〜22歳ぐらいまで)

高校2年の終わりごろに、腎臓結核で大学病院に入院しました。最初は左腎臓の4分の1くらいが感染していたので、左腎臓の3分の一か、半分かを摘出するだけでよかったのですが、若いインターンや大学病院の幾つものミスが重なって左腎臓を全部摘出することになりました。そしてミスはそれだけではなく・・・・。


少しだけ06年1月13日に文章の変更をしました。

高校2年生の時近くの公園で

この頃は、まだ病気知らずで1000メーター位の山(雲仙の普賢岳)を小学6年生ぐらいの男の子供を背負ったまま、下駄ばきで平気で登っていました。
身長は170センチもあったのに体重は55キロでガリガリでスポーツマンにはとても見えなかったのですが、実は柔道や剣道、居合いなどをこなす喧嘩っ早い武闘派の若者だったのです。



2、作曲家の職業病?
  入院記  (胃潰瘍)
(音大の3年生〜)

レントゲンで胃酸でいっぱいにになった胃を見ながら大学病院の先生が言いました。
「人生、もっとリラックスしなくちゃ!」言われて、「はい、わかりました。」って言いながら思いました。
それが出来れば誰も苦労はしないんだけどなあ・・。




















(この時代から写真がカラーに変ります。)

3、鬱について(男の更年期?)

(48歳〜今でも)
私は親しい友人や歳の近い親戚などを55歳から60歳ぐらいの間で多数亡くしています。病気のほかに自殺の人もいます。
突然襲ってくる人生の黄昏・・・・・。
しかし逝く準備は何も出来ていないのです。
そういったことを感じさせる欝、は必ずしも(女性の更年期がそうであるように)全ての男性に訪れるというわけではありません。
そういった事が結果として
「何故、自分だけ・・・」という気持ちを抱かせてしまいます。
そして、欝が自分だけの問題であるのならまだしも、鬱になったとたんに周りの女性かからは、男性としても認めてもらえなくなり、哀れみの目で見られるようになります。
「えっ、それって、EDのことを言っているのじゃないの?」
そうです。でも、鬱が先か、EDが先か、それは実に微妙なところがあります。EDは徐々にやってくるものではなく、びっくりですが、ある日突然に自分に襲ってきます。
何となく、体の衰えに追従するように、徐々に私達に近づいて来るのではなく、ある日突然に自分に襲いかかってきます。予期しなかったことだけに、少なからずショックを受けてしまいます。
しかし、たかが「EDになったとしても妻や家族は当然ついてきてくれるはずだ。」男性としては、当然そう考えがちです。
しかし、現実はそんな甘いものではありません。夫がEDになったために、自殺をした主婦すらいるのです。
当然外の仕事でも相手に与える
「かっこいい!」という感じは男性的なリピドーに縁ります。
女子社員だけでなく、従順に付き従ってくれる部下の、男性社員達ですら、いまや尊敬できなくなったあなたに、距離を置くようになります。
ましてや、一見すると性的な事とは関係のないと思われがちな子供にしても、(小学生の5,6年生位の年齢からは)あからさまに、その影響が出ます。
気持ちだけは、かっこよく、機敏に動きたくとも、体は全く言う事を聞かなくなってしまって、だんだん思い通りには動かなくなってきます。
「昨日までは無理が利いたのに!いったいどうしてしまったんだろう。」
本当はそういったときこそ、妻や周りの人の思いやりと理解が必要ですが、現実はさかさまになってしまうのです。しかも最後の頼みである医者ですら、EDをSexとしてしか理解しようとはしません。EDはsexのことではないのです。生きて行くうえでのエネルギー(生命力)のことなのです。
周りの誰か一人でも理解を示してくれたら・・・・!
もしも社会や周りの人達のEDに対する正しい理解があったとしたら、50歳代から、60歳ぐらいにかけての男性の自殺は少しは防げるでしょうに・・・!

4、全ては肥満から始まった。
(34歳〜今でも)
ホームページを掲載し始めた最初の間は、3の文章と4の文章を同じサイトにするつもりでした。しかし40代では病気といっても、まだ通風やロイマチス(リューマチ)位で、痛い事は痛いけれども、直接、命に係わる深刻さはありませんでした。
確かに通風は痛くて辛抱できない感がありました。
風が吹いても痛い・・・と言う意味をおもいしらされました。
それに、肥満も確実に進んでいきましたがコレステロールや中性脂肪、その他、出来る限りの、ありとあらゆる検査をしてみましたが、そんな悪いデータは見つかりませんでした。
「何故太るんだろう。」医者はいつも首を傾げていました。
しかし50代の後半で始まった肩の痛みや首、腕の痛み等(医者に行っても原因不明の)や、また自分自身では理由を見つけ出す事の出来ない欝は、なんとなく、自分に「死を予感させる」ということで、その痛みの深刻さが、なんとなく自分自身にも分かります。

不思議なことに、人は痛みを通じて、その痛みが命に関する痛みか、たとえ激しい痛みであったとしても、その痛みが命に係わるわけではないのかを、判断することが出来ます。
命を繋いで来た生物の本能のようなものでしょうか?

5、腰痛日誌
(40代の後半から)
医者⇒カイロ⇒針(温灸)⇒針⇒入院⇒カイロ⇒?

腰痛は最初は悪くなっても、直に良くなって、また悪くなっての繰り返しで、結果的にだんだんひどくなっていく。最初は直るのも早いし、さほど痛くも無い。しかし、繰り返すたびに、確実にひどくなっていく。10年戦争ではなく、それこそ15年、20年と繰り返されていく。私の場合は、30代の時に一度「そう言う事もあったかな。」という感じなったぐらいで本当に腰痛に苦しめられるのは50代に入ってからの事なのだが、今の子供の場合には、小学校や中学校でかなり無理な運動をするので、私の生徒の例でも、小学生の5,6年の時に、水泳部で練馬区の競泳のレコードを持っている弟子に至っては、14,15歳でもう腰痛にしっかりなっている。無理な部活などがいかに子供達に悪影響を与えるかと言う事なのだが、このページはあくまで個人の事を書いているページなのであえて教育問題には触れないことにする。


6、第三の選択(何故)
(ステントかバイパス手術かの突然の環動脈手術)

腹立たしいことはそれが自分としては、十二分に気を付けていた結果起こった事だからである。
4年も、5年も前から、医者に自分の病気の状況を訴え続けてきた。
それなのに、今の今になって、改めて診断がついた結果、(結果論として)
「2年前の症状や、3年前の症状が典型的な心筋梗塞の症状だ。」といわれたことだ。

では2年間、3年間、通ってきた循環器の通院はどういうことなんだろう。
レントゲンは無論の事、心電図から始まって、負荷の心電図もエコーもCTすらやってきて、いつも
「不整脈がひどい。」だとか「肩から腕に掛けて(両手とも)血の気が引いたように冷たくなって、心臓から上が血が回らなくなってしまったような気がする。」とか、「最初は寒い時だけだったのが、坂を登ったり、逆に暑い時にも症状がでるようになってきた。」と5年間、言い続けてきた。
しかし、それで精密検査にまわされることはなかった。
6月にやっと負荷をかけた心電図に細動が出て、初めて
「大学病院の外来でステント治療で良いか?」ということになった。
しかし、実際にカテーテルをやった結果、3本しかない冠動脈が、5箇所に亘って詰まっているという冠動脈の症状としては、もう既に末期の症状であった。
詰まっている血栓は完全に石灰化してカテーテルやドリルを通さないほど硬質かしてしまっていたそうだ。

「よく今まで心臓が動いていた。」
と驚かれてしまった。
いつ心臓が止まっても不思議のない状態だったそうである。
結局循環器では手に負えないので、心臓外科のバイパス手術と云う事になったのであるが、その説明の段階であらためて医者に対しての不信感を持ってしまった。
不信感は大学病院だけに留まらず、ホーム・ドクターにまで及ぶ。第一の驚きはよくそこまでになるまで何故診断が出来なかったか、ということだ。
何のための毎月の定期健診であったのだろうか?ただ単に薬を処方するだけだったら、毎回、何時間も掛けて診察を受けることもあるまい。
この3年間、5年間、通院にかけた努力はいったい何だったのだろうか。

本文に、05年9月の22日のメールとその後の感想について、を追加しました

7、
病床後記

今日は退院から8日目であるが、TVで動脈硬化や心筋梗塞などの心臓病がEDの症状を惹き起こすということを話している。私としてはそれは始めて聞いたことである。
いや、全く驚きである。
EDについても、ある日突然症状の悪化が起こることなどを病院の循環器の先生に報告していたがどの先生も真剣に聞いてくれる先生は居なかった。
ED=Sexとしか見ていないようだ。
確かに性的不能(インポテンツ)はEDの症状に違いはない。しかし、現実はそんなに甘いものではない。私としては、いたって真剣に相談しているのにかかわらず、(若い女の先生などは)私があたかもセクハラのいやがらせをしているように(からかっているように)判断していた。
腹が立ったが
「若い娘っ子だからしょうがないか!?」などと思い直して諦めた。
「循環器の先生では、EDのことなど分かるわけがないか。」と自分なりに納得させたのである。
でも、もしTVで言っているように、EDが心臓病の症状の一つであるとなると、幾ら若い娘っ子だったとしても、これは許せる分けではない。

05年9月8日
リハビリに失敗して(少し無理をしてしまって)腰痛を再発させてしまった。ただでさえコンピューター・デスクの前に座ることが困難なのに、全く椅子に座ることすら儘ならなくなってしまった。その理由は3週間目の初めての外来である。Y病院まで自分では運転が出来ないので、電車で行かなければならず、そのために30分の歩行練習を突然したからである。(何とか15分近くまで歩行練習を伸ばしてきたのだが、足には問題は無かったのだが、腰がついてこなかったのだ。

05年9月14日
今日はY病院で診察があった。全ての検査は良好で次の診察日を決める段になって、2,3日前の不整脈を心電図で診て貰う事になった。退院の時に高かったのだが無理をして買って帰った携帯用の心電図計である。見るなり先生が
「これはペース・メーカーですね。火曜日に入院で水曜に手術です。」「えっ!えっ!」・・・・しばし呆然、後は、完全にめげてしまった。神経性胃炎(?多分)はますますひどくなる。歩いていても、座っていても痛むようになってしまった。



次の文章は送信日時: 2008221のメールを手直ししたものです。

08年2月21日
死病

元気で若い人や健康で病気などしたことの無い人には分からない事なのかもしれないが、病には死病というものがある。
例えば私の場合では、心臓の手術に至る5年も前から、単純に「肩が凝って痛い」と言うだけではなく、肩から両腕に渉って冷たく死人のように冷え込んできた。あきらかに、今まで体験して来た腰痛や高熱が出るインフルエンザのような病とは、根本から何かが違うのだ。体中の複合的な体調不良。それはただ単に体の具合が悪いといったようなことではなく、心の底から死に対しての恐怖心が襲って来るのだ。人間の生存に対しての防御本能が働くのだ。「心臓の具合がおかしいのではないか?」と言う事で、「心臓の調子が悪いから・・」と言って、循環器の先生に診てもらっていた。「冠動脈ではないですか?」何度もその質問をしたにもかかわらず、「素人が何を言う・・。」とばかりに、取り合ってはもらえなかった。その結果手術をすることになる、それ以前の、5年も前から・・・。そして冠動脈が詰まっていたと言う事が分かってからは、今度は逆に「もう3年も前に死んでいてもおかしくなかった。」と医者に言われた。
だから今までそう言っていたのに!

もちろん死病という意味は、どんな病気にでも当てはまるわけではない。そのものずばり、病気で死ぬ・・・ということを意味するわけではないのだから。死ぬとすれば、風邪で死ぬ人もいるわけなのだが、風邪のことを死病とは言わない。なぜなら、風邪などをこじらせて死んでしまう場合には、その人に「死に対する予感」は働かないのだから。

心の病と言える自殺には、死病と呼んでいいようなパターンと、風邪をこじらしたような、本来は死には結びつかないケースの、二つのパターンがある。
曰くそれは、本当に思いつめて、「死にたい!」と願望する自殺のケースと、誰かに自分のことをかまってほしくて、見てほしくて、それで自殺の真似事をするケースである。
しかし、一概に自殺願望といっても、おろそかにできないのは、自殺願望はエスカレートするからである。人間は、通常はリストカットや薬を飲んだぐらいで、そうそう簡単に死ねるものではない。しかしそういった自殺者の行動は、段々エスカレートしていて、結果的に、あるときにその一線を越えてしまって、本当に死んでしまうことがままあるのだ。最初は睡眠薬を10錠飲んだので、それで生還出来たので、次には20錠、そしてその次には40錠と言う風にだんだんエスカレートしていくのだ。そしてあるときにはその臨界点を越してしまい、本当に死んでしまう。

しかし、不思議な事に、そういった死者に見受けられる共通の状態がある。例えば鉄道自殺者の多くのケースの場合、決心して、電車に飛び込んだはずなのに、頭だけは線路より外の方に逃げようとしている、と言う事だ。同じことは、湖や海に飛び込み心中をした人達の例にも見受けられる。
ゆるぎない来世を誓い合って、手と手を取り合って、或いは抱き合って、いやそればかりか、死んだ後も、お互いの体が離れ離れにならないようにと、体を縛りあって一緒に飛び込んだカップルなのだが、引きあげたときには、お互いに相手の体から逃れようと、お互いの相手の体に無数の引っかき傷をつけている。何とか助かろうと、もがき苦しんだ姿なのだ。痛々しい事ではあるが、「自殺したい」と言う気持ちとは裏腹に、潜在意識の世界では、人間の体そのものは、もし現実の世界が自分の望むとおりになるのなら「死にたくはない」と言う気持ちが働くからである。それは「生きよう」という人間の本能のなせる事である。

しかし、世の中には、本当に思いつめてしまっていて、「心の底から自殺をしたい。」と思っている人がいる。その人には、周りの人をさえ、地獄の中に引きずりこむような独特の恐ろしいオーラがある。それを昔の人たちは、「あの人は、死神に取り憑かれている。」と表現した。

死に至る病とは「絶望」の事である。
誤認逮捕された死刑囚が、弁護士と再審の要求をするがそれが最高裁まで行っても、ことごとく棄却される。万策尽きたときに、「万事窮す」となる。それが「絶望」と言う意味である。
可能性があるのに試みようとしない事や。最初から他人まかせでやる気のないものを指して「絶望」と言う言葉は使わない。



8、後書き
退院後3ヶ月目に入り、Y病院での2回目の診察が終わった所です。実はその直前に、何と60歳の誕生日を向かえました。自分でも信じられないことなのですが、還暦です。これからは以前のように医者に「いや、まだ59歳です。50代です。」とは言えなくなってしまいました。
今回の入院は自分が病気であると言う自覚が無いままに(その緊急性から)あれよあれよというまにカテーテル検査から一気にバイパス手術まで行ってしまったので、2年振り3年振りで合う人毎に「元気になられましたね。」と言われるのですが、病後のリハビリに専念している今の方が傷跡などの痛み等で、回りの人の
「楽になりましたか?」という質問とは逆に病人らしく、体力の衰えや痛み等の症状を感じています。「以前のお顔は・・・」と良く言われるのですが、自分では全く自覚がありません。鬱も以前よりは回数が少なくなったものの、まだまだ、月2回位の割合ではあらわれますし、「何か(?)良くなったのかな?」と言う感じです。しかし、医者に言わせると少なくとも「即死は無くなった。」と言う事らしいのでひとまず、良しとしなければなりません。昨年亡くなった従兄弟も59歳で心筋梗塞でした。その1年後に(同じ年で)私が検査で引っかかったのはラッキーだったのかもしれません。従兄弟は車に乗って、今正にエンジンを掛けようとした矢先に斃れたようです。本人の自覚は何も無かったようです。日頃丈夫だったようなので、本当に予期しない死だったのでしょう。
私達のファミリーの、年の離れた一番上の従兄弟も(もうずいぶん以前の事になりますが)、55歳で心筋梗塞で亡くなっています。
彼は私と同じに肥満で苦しんでいました。しかし私と違って、酒もタバコも全く(若い頃から)やらず、しかも不思議なことに少食で、放送局の激務をこなす人でしたので、運動不足は絶対に無いとは思いましたが、それでも肥満に苦しめられていたように思います。書斎の机の上にうつ伏せで眠るように死んでいたそうです。
59歳の一番歳の近い従兄弟は、若い頃から痩せていて、武闘系のスポーツマンで病気知らずでした。彼に限っては、一度も肥満に苦しんだ事は無いようです。それでも心筋梗塞は襲ってきます。
反対に、私のように3年も4年も前から
「肥満だ!」「血圧だ!」「心筋梗塞だ!」「冠動脈だ!」と大騒ぎをしていて、しかも心臓の専門の医者に掛かっていたとしても、医者から正しい診断を受ける事は難しいのです。
私が
「不整脈だ。」と言い出だしてから、ありとあらゆる検査をしましたが、心電図に不整脈として実際に捉えられるまでに、5年近く掛かっています。この間に血栓は石灰化してしまってステントの可能性はなくなってしまいました。
それでも医者を責めるわけにはいかないのだそうです。
それだけ、診断が難しい病気だと言えるのだそうです。
医者は言いました。
「又同じ症状が出たら、今度も間違いなく同じ病気です。」
「貴方の症状は、貴方だけの症状です。」
「えっつ!それって、21世紀の日本の有名病院の医者が言う言葉なの?
その程度って、どんな素人でも、誰でもいえることジャン!!」

ねえ〜?そう思いませんか?
                    江古田の一静庵にて
                          2005年10月31日


9、後書きの後書き
3年間、心臓のバイパス手術をした神奈川の心臓専門の病院に通ってきたのですが、ただ単に問診と薬を貰うだけで、そこの病院に通うのはとても遠いし、「心臓というよりも肥満や糖尿病、通風などの診察の方が大切だから。」と担当の循環器の先生にアドバイスを頂いて、同じ練馬区内で総合的に診て貰える病院を・・・言う事で、5年間通ったのに全く病気を発見できなかった近くの個人のS病院や、『余命5年」と宣告して、『もっと、生きたいですか?」と不思議そうな顔をした若い医者の居るN大学病院は戻りたくないので、近場で新しいJ大学病院に紹介状を書いてもらいました。

と言う事で、その新しい大学病院に診察に行ったら、若い(とは言っても30は過ぎているか??)医者が
「ドラフトの寿命は7年ですから、貴方は3年前に手術をしているから、後4年で手術したあとの血管がまた詰まりますよね。」と言って来た。
『では、4,5年で再び、ドラフトの手術ですか?」と聞いたら、「いや、もう採れる血管は無いので、もし出来たら、ステントの可能性もあるのですが、貴方の場合、ヨード・アレルギーがあるようだから、ちょっときついかな?」と言われた。
オイ、オイ、それじゃぁ、また、余命4年と言う事かい!??

そのくせ、やたらと肥満の事を気にしていて、
「人間、食わなければやせるのですよ!」とか、「薬とかで痩せるのはないのですか?」と質問すると、「覚醒剤でもやれば痩せるんだけどね!」とか、医者にあるまじき恐ろしげな事を平気で言う。

すっかり、欝になって、大学病院から家に帰ってきたのだが、それから2日後には、心臓の不整脈まで出始めた。

ようするにストレスなんだよね!
この2,3日すっかりめげています。
しばらくは、立ち直れそうにないなぁ・・・・・!!


                         
2008年6月1日




よく「今、闘病記を書いています。」というと「ブログですか?」と聞かれる事があります。
しかし、このホームページは、日記風に、毎日更新して書いていく分けではないし、自分の病気の思い出を、高校時代までさかのぼって、私個人史の様に書いていく訳だし、いづれにしても、ブログにしても、人と会話をしたり、ご質問にお答えする時間や体力も、今の状態ではとても無いし、・・・というわけで、チャットやブログを立ち上げるのはとても無理なので、こういう日誌風の形を選択しました。
大和成和病院で心臓のbypass手術前の写真:

と言う事で、取り敢えず、自分のホームページを立ち上げてみましたが、今現在進行形で手術や検査などを受けながら、自宅で余力のある時だけ、ホーム・ページに取り掛かることは、ホーム・ページというのもが、社会に公開されている文書であるという現実を踏まえると、ある程度は公開に耐ええるだけのしっかりした形を作らねばならないので、自分自身として省みると、かなり体力的に無理があるようです。

今、現にキーを打っていると、かなりの腹痛が起ったりします。
痛みが起こってきたら、一応、横になって休んでいると、しばらくして痛みは取れるのだが、それで辛抱して、何とか作業を続けようとすると、痛みと疲れで集中力が持続できず、ついつい文章が「投げやりなもの」になってしまいます。

体調が良い時に、後で書き直しをするか、ホーム・ページの製作自体を諦めて、他の仕事、(もっと手軽な)遣り残した論文の補筆の仕事や、ワープロ時代にぶっ飛ばしてしまった詩や童話の復旧に賭けるか、子供の室内楽(バイエル程度で弾けるピアノ・トリオの作曲に専念すれば(公開性が無いので)よいのですが、他の何かの仕事をしようとすると、またぞろ、気になってしまってホーム・ページビルダーを開いてしまいます。
いや〜!困った性格です。


夜になって一人で居ると何かと雑念に襲われて、病気のこと、自分の将来の事などを、思い悩んでしまいます。

本当はやることが沢山ありすぎて、悩んでるような暇は無いんですけどね。
まあ、それを一般的には、鬱というのでしょうが・・・・・。