胃潰瘍(十二指腸潰瘍)
   作曲家の職業病と言われて・・・?

          大学3年〜4年生から、以降30年、間持病として継続する
音楽大学の入学当初は、一般の音楽大学受験生と同じように、これでやっと音楽家への道が約束されたかの様な気がして、本当に嬉しかったのです。
はっきり言って、入学から2〜3週間のあいだだけは・・・・!

大学1年生の時の冬、アパートの傍で

しかし、若者が、夢から覚めるのにはそんなに時間は要りません。
まず始めて、音楽大学の校舎に入って、驚いたこと・・・、それはムッとするような化粧のにおいでした。
音楽大学の学生の93%まで女性だと知っていましたか?
受験高校の男だらけの汗と男臭のする高校から、突然女の園にやって来たわけなので、全てがカルチャーショックでした。
自分が音楽大学に期待したものと、「何か違うぞ!」と直感的にそう感じました。

自分には大きなコンプレックスがありました。
「僕は16歳位から音楽の勉強を始めた。」
「でも他の人達は3歳位から音楽の勉強を始めて、音楽だけを一生懸命に勉強している。」「知識やテクニックは、この音楽大学の中では、僕は最低のlevelかもしれない。」
・・・ということで一番で入った子や、特待の生徒を探して回りました。
そして、まず驚いたのは、その音楽大学をリードするトップの生徒達が、まず、曲を知らないと言う事です。
ピアノ科の女の子等に至っては、ベートーベンのシンフォニー「運命」すら聴いたことの無い人がほとんどだったのです。
何故なら、ただひたすら先生から与えられた曲、例えばベートーベンのソナタやショパンのエチュードなどの一曲を、一年かけて必死に練習する毎日で、他の曲など聴くゆとりは無かったのです。
だから、私としては、「音楽が好きで堪らずに音楽の世界にやってきた人達が音大生だ!」と思っていたのですが、実際には「音楽なんて好きだと思ったことは一度も無い!」という人達がほとんどなのでした。

まず最初のカルチャーショックが「音大生で音楽が好きな生徒はいない!」という事実でした。

何年か、ぶりで、おそらく4年か5年ぶりで「作曲科の学生が一人入った!」というので、先生達も戦々恐々としていました。
さっそく先生達の、いびりが始まりました。
1000人近い人数の集中講義の時、「作曲科の学生はいるか?」「ハイ!」「ホモホニーとはどういう意味だ?モノフォニーは?ポリフォニーは?」受験のための勉強しかしていない私にとって、まるで始めて聞く言葉ばかりです。
しかし、ここでちゃんと答え切らないと、後のいびりも何となく想像つきます。
「この際、口から出任せでも良いから、答えておいた方が無難かな?」と言う気がしてきました。
後は、最初から知らない言葉なので、単なる連想ゲームです。
「ホモはホモセクシャルのホモ??ホモ牛乳のホモかな?」「モノはステレオとモノラルのモノで、フォニーはレコードのフォノとAUXのフォノ、ポリはポリスのポリでしょう。」と答えました。

私の事をやり込めようと思っていた先生は、私の答えに、「なるほど!!」と、いたく感心してくださいました。
勿論、知識として持っていたことに対しての答えではないことぐらいは、先生としては、分かったはずです。
その後も500名ぐらいの講義の時に何かしら難しい質問を思いつくと「作曲科の生徒がいるのはこのクラスかな?」ということで意地悪な質問が飛んできました。
その都度、思い付きで答えているのですが、その答えをその先生は、結構面白がって、感心して聞いていました。

その先生は「音楽の友」等の雑誌に、いつもかなり辛らつな批評を載せていることで有名な先生でした。

授業では、2百名ぐらいの、鑑賞のクラスで、何枚かのレコードを聞かされて、通常はその先生がその曲や演奏家の解説をしているのですが、私と目が逢うと、その曲や演奏家の感想を求められて、その答えがある程度気に入って貰えるようになった時に、先生の代わりに演奏会の評論を書くために、演奏会のチケットを良く貰うようになりました。

勿論、感想をしっかり説明しなければなりません。
例えば、ロシアの有名なオケが来て、モーツアルトのレクイエムをやりました。
しかし、オケは2管編成にすぎないのにオルガンのような感じを出すためにかコントラバスだけ12本ぐらいいました。
そういったバランスの問題から、細かいいろいろなところが破綻していきます。
まだバッハだったら、orgelのpedaltoneと言う事で、ありかもしれませんが、モーツアルトではね。

その内、音楽評論の先生や、ピアノの教授、その他の何人かの先生が私にチケットをただでくれるようになりました。そして、私の感想文を、音楽の友などに、掲載してくれるようになりました。
勿論先生の名前で・・・ですがね。
自分の書いた文章がいろいろな先生の手によって補筆校正されていくことはとても勉強になりました。
幾ら、文章力があったとしても、所詮は、学生の文章とプロの評論家の文章では、比べようはありませんので。
私の文章が、先生の手でどう、手直しされたのか・・・それを、checkする事は、私にとっては、とてもよい勉強になりましたよ。


音楽大学1年生当時
大学時代というと結構ばら色な生活か、神田川のような甘い生活を想像しそうですが、毎日の生活費を稼がなければならない私にとっては、学生生活は、超、現実的なもので、勉強とアルバイト
(私はこのアルバイトと言う言葉が無責任を表す言葉のようで大嫌いです。)に追われる毎日でした。

そういった日常的ストレスの他に、やはり極端に神経を使う作曲は、慢性的な胃酸過多の症状を惹き起こしていました。
音楽大学の生活も音大の97%が女性であるという事は、ハーレムのような環境で、楽しい大学生活をエンジョイしたように思われるかもしれませんが、音楽大学に、音楽で自立する技術や、或いは、生活を確立する方法を学ぼうと思っている・・・つまり、音楽で現実の生活を求めている私にとっては、女子学生達の夢幻を追いかけている現実性のない生活観とそれに追従する音楽大学の提供する授業に全く失望を感じて、大学の勉強の延長線上に「音楽家として生きて行きたい」と夢を見ていた私にとっては、音楽大学の現実の生活(キャンパスライフ)の悩みは深刻でした。

音楽大学の2年生の時には、その悩みは深刻になってしまって、音楽大学を中退して、直接ヨーロッパの大学に留学しようかどうかと、本格的に悩んでいました。

色々あって(ここでも省略形です)兎に角4年制を卒業することになるのですが、その色々で結果として胃潰瘍(十二指腸潰瘍)になってしまいました。

痛みは派手で痛くてしょうがなかったのですが、上手く期間休みを使って3ヶ月ぐらいを誰にも知られないで、入院することが出来ました。
本来的には穴の開く寸前で、緊急の手術が必要なぐらいでしたが、ソルコセリル(多分)というアメリカで開発されたばかりの新薬のテストということで、潰瘍食と薬を飲むだけの楽な入院となりました。
ソルコセリルは細胞復活剤ということで、傷や潰瘍で傷ついた細胞をもとに戻す働きがあるそうです。
その後その薬がどうなったかは知りませんが、兎に、角私にはよく効いたようで、3ヵ月後には無事退院することが出来ました。
勿論、その時には・・・、という条件が入りますが・・・!

胃潰瘍や十二指腸潰瘍も、病院の薬を飲み続けて、確かに、ある程度は改善が見受けられたのですが、胃潰瘍は職業病のように繰り返し繰り返し再発して、それから少なくとも30年間は胃の薬(胃潰瘍の薬)を飲み続けなければなりませんでした。

実は、胃の中には胃酸という強い酸があります。
このために、従来は胃の中で生存し続ける菌がいる等と言う事は有り得ないと思われていました。
ところが20世紀の最後、1990年に強い胃酸のある胃の中で生き続けるピロリ菌(ヘリコバスター・ピロリ)というのが発見され、それから5年後の95年に胃潰瘍を引き起こす要因となることが指摘され、それから慢性の胃潰瘍が胃癌を引き起こす恐ろしい原因にこのピロリ菌が原因となることが分かってきました。

しかし現在は治療は他の病気に比べても比較的簡単で、1週間から10日ぐらいの薬の服用だけで治療が出来ます。
このピロリ菌が発見されたおかげで、私も長年の十二指腸潰瘍が消滅し、30年間続けてきた胃潰瘍の薬の服用から解放されることができました。

とは言っても、心筋梗塞の入院が決まったとき、いつもの十二指腸潰瘍とは違う場所で、神経性の胃痛が起こって痛くて仕方ありません。(現在進行中)

音楽大学の現状についての、tweetのPageを見つけました。
参考に載せておきます。
これを見る限り、私が悩んでいた40年も前から、何一つ、変わっていないようですね。素晴らしい!!!

http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2012/0216/483974.htm?g=08