
  
  
  私の体重は高校1〜2年の時から、33、4歳までは、全く変動したことはありませんでした。
  
左の写真は、高校1年生の頃、近所の公園で撮った写真です。
  
  私の体重は、35歳迄は、常に55キロをキープしていたのですよ。
  しかも、私は、高校の頃は、まだ身長も170センチくらいはありました。
  私達の時代(所謂、昭和30年代)では、私は背は高い方だったのですよ。
  (歳を経てしまった今日では、背丈もすっかり縮んでしまって、168cmもありません。
  
  足のサイズも、昔の靴では、ブカブカになってしまいましたしね!!
  足も縮むのですよ。
  靴は10年以上、同じ靴を履いていますが、昔々は、ギチギチだった靴が今は、ガバガバになってしまって、歩いていると、スッポ抜けたりします。)
  すっかり、身長が縮んでしまった今でも、ブクブク太っているせいか、よく「えっ!そんなに身長があるの?」と言われます。
  
  
  
  これは、肥満が顕著になる前の文章です。
  肥満が酷くなって来た、55歳以降になると、逆に足がむくんで来て、靴もパンパンになって来ます。
  でも、心臓の手術の後で、ムクミが取れた一瞬は、また靴がブカブカになってしまいました。
  今も、ブカブカとキチキチを繰り返しています。(水色の文字は、2015年7月15日の追記の話です。)
  
  しかし、良く考えてみると、痩せていた高校,大学時代も「170センチはある。」と言うと、皆は驚いていましたがね。
  昔から、背が低く見られるのかな??
  
  背の高さはともかくとしても、体重も中学生の後半の頃から、30歳の後半迄は、55Kgという体重は、全く変わらなかったのですよ。
  
  しかし、34歳を過ぎた頃から、(緩慢に)ゆっくりとではありますが、確実に太り始めました。
  
  その体重の増加が、たった1,2`だったとしても、当時の私は、ほったらかしていた分けではありません。
  食料のカロリーのコントロールや、中学生の頃から、延々と続けている散歩、或いは軽い運動等々、一通りのことはやってみました。
  
  病院に行った時に、肥満について相談すると、医者は、必ず、過食と、運動不足等々の不摂生を疑います。
  
  それで、必ず私の言葉を疑って、医者達は、私の不摂生を証明するために、「またか!??」といってよいほど、血液検査から順番に、肥満に関係する検査が一通り、定形通りに始まります。
  
  「またか?」という言葉は、誤解されるかもしれないので、少し付け加えておくと、その頃は、結構、病院周りをしていたので、1年を経たずしての検査なので、前の病院の情報と、新しい病院の情報が、殆ど、変わらなかったからです。
  肥満と言っても、急に体が変化する分けではなく、緩慢に10年ぐらいを一単位に少しずつ変化していくのですから、病院同士で情報を共有出来れば、お金が入って来ないか!?!?!?
  そりゃ、そうだな!!
  無駄な検査も、病院にとっては、営業だもんね。アハッ!
  
  いろいろな検査が、色々な科で何日間も試されて、いろいろな検査を、それこそ、色々な科をたらいまわしされて、一月近い検査の結果は、何処にも異常が見つからず、「あなたが、これだけ日常生活で、食事や運動に注意して生活していれば、絶対にそのうち痩せるよ!」という病院の先生の言葉で終わります。
  
  でも、「その養生を気を付けてやった結果が、この肥満なのだよ!」という事は、もう、その時には先生様達は、すっかりお忘れなのだな。
  
  医者には検査のdataが全てであり、「dataが幾ら良好な結果でも、私は、肥満になってしまっているのだよ」と言っているのに、私の言葉は、もう先生達医者の耳に達する事は、ないのだな。
  
  病院の先生様の言葉とは裏腹に、残念ながらそれで本当に痩せた、という事は、一度もないのだな?!
  これが・・・!!
  
  ある病院の若い先生などは「食わなきゃ必ず痩せるんだよ!」と私があたかも大食いでもあるかのようにきめつけて言っていた。
  
  私だって、「食わなきゃ痩せる!」と、言う事だって、何度も試みているさ!!
  そんなのは、医者のドクハラだよ!
  食わなきゃ痩せるが罷り通れば、肥満する人なんかないはずだよ。
  
  確かに、過食で、肥満になっている人達は、多いとは、思うけれど、肥満をしている人は、過食で肥満になっている人だけではないのだよね。
  
  それが医者はおろか、一般の人達にも分からないのだよ。
  
  私が肥満で悩んでいる事を聞いた友人が、「お前は美食家だからな?」と、私が、あたかも、食い意地が張って、食い過ぎるから肥ってしまうのだ・・・と、でも言いたげでした。
  
  話がそんなに簡単なら、肥満の人口はそんなに多くはないと思うよ。
  肥満は、驚く事に、食糧難に苦しむ国にでもあるのだからね。
  それを、栄養失調による肥満と言います。
  
  タバコや酒を止めるよりも、肥満の対策はもっと難しいのだよ。
  そこの所が分かっていないと、患者の立場に立った医者とは言えないのだよ!!
  だから、自分自身でも肥満で悩んでいる医者は、食事の制限の事は余り言わないのだよ。
  
  35歳頃から急に太り始めて、15〜6年も経った頃には、肥満も深刻なものになって、病院に2ヶ月に亘って入院したことがあった。
  45歳を過ぎた頃から、だんだんと肥満に加えて(或いは肥満によるというべきか)腰痛もひどくなって、ついには、1998年の53歳の時には、教室の乱脈経営で倒産状態になって、その教室の立て直しのために、心労と疲労が溜まって、或る日、とうとうベッドの中で、全く身動きが出来なくなったためである。
  (腰痛日誌参照) ベッドの上に座る、と言う事はおろか、体を横ににする事、或いは、身動きすることすら出来ない悲惨な状態になったので、生まれて初めて、救急車で病院に担ぎ込まれた。
  
  横になったままの状態で、身動きが全く出来ないのだから、当然、食べたくても、1.300Kcalのダイエット食の半分も食べることが出来ない。
  
  体が動かないから箸を持つことすら儘ならないから、なのである。
  
  それよりも、体が動かないから、それ以前に食欲がない。
  
  当たり前のことながら、入院から最初の4日間で7`も痩せた。
  1,300`カロリーの半分も食べれないから、最初の間は痩せるのが当たり前なのだよ。
  
  しかし、問題は10日目位からである。
  全く体重の減少が止まったままで全くそれ以上減らないのだ。
  ベットで全く動けないのだから、どんどん体力が落ちていく。
  腰がたたないのだから、トイレに歩くことすら出来ない。
  
  このままでは、退院したとしても、寝たきりになる可能性もあるな??という事で、歩行補助具(車)を使って、ベッドに寝たままの尿瓶ではなく、歩く訓練を兼ねて、トイレに行くようにしました。
  結局6月の最後の日、から7月、8月、9月と、2ヶ月以上も病院にいたけれど、再び歩けるようにはならなかったし、体重も最初の7キロから、それ以上痩せることもなかった。
  
  しかし全く減らない体重に反して、見かけ上は,、ベットに這いつくばった状態で、動けないわけだから、筋肉が落ちてしまって、結果的には痩せこけて見える。
  とても90kg以上あるようには見えない。
  
  病院の先生は「ホレ見なさい!ちゃんと食事制限すれば痩せるのよ!」と、言っていたのだが、実際の所は、筋肉が減って、痩せて見えるだけで、体重は全くおちていないのだよ。
  カルテを見れば分かる事なのに、医者はそこが分からない。
  いや、分かろうとはしないのだよ。
  見た目が痩せていれば、痩せたという事になるのだろうからね。
  でも、私達にとってみれば、筋肉が痩せたのと、体重が減って痩せたのの違いはよく分かるのだけどね。
  
  だから、私が「痩せたのは最初の3,4日だけで、後の一月、二月は全く体重へっていないのですよ。」そう幾ら先生に言っても、先生達の耳には全く入らない。
  結局、後後では、もう、先生に説明するのもあきらめてしまいました。
  
  30歳の後半になって、肥満になり始めたときには、一般の方と同じ様に、ありとあらゆる痩せる方法を試してみました。
  勿論まだ40代の時には、肥満の程度も比較的に軽くて、運動療法なども含めて、食事制限から始まって色々なダイエットを試しました。
  
  全てが上手く行かない中で、唯一成功したのは「36品目ダイエット」というダイエットでした。
  これは順調にやせることが出来てもう少しで80kgのレッド・ゾーンから、イエローゾーンに到達出来て、肥満から、肥満もどきまで克服できるところまで行きました。
  しかしこれは本人にとってはとても楽なダイエットなのですが、食事を準備する奥さんの方がヘルプを出さざるを得ないほど、食事の下準備が大変でした。
  半年で食事係が「もう、無理!!」と挫折してしまいました。
  専業主婦ならいざ知らず、violinの先生をやりながら、の、片手間の食事作りでは、日常が忙し過ぎて、所詮は無理だったのですよ。
  
  その後は、ダイエットとリバウンドの繰り返しであれよあれよという間に100kの大台を越してしまいました。
  私の場合には、もう、肥満になり始めた頃から、「肥満とカロリーの関係は必ずしも一致しない」 ということは気がついていました。
  寧ろ、肥満の根本的な原因は、「加齢による基礎代謝の衰え、色々な臓器の衰えのせいである」ということを、私は、主張しましたが、勿論、医者は当然ですが、私の周りの人達も、誰にも私の主張は信じては貰えませんでした。
  その事が、男の更年期の話と同様に、肥満についても、加齢の話が一般的に言われるようになったのは、私がその事を公に言い始めてから10年後、20年後の事になります。
  
  もう、完璧に肥満と言えるようになってしまい、当然、その副産物として、腰痛も酷くなり始めます。
  だから、肥満そのものと言うよりも、肥満による腰痛で、色々な病院に行く機会がありました。
  
  このお話は直接は腰痛のお話ではありません。
  近所のS病院に、腰痛で2ヶ月近く入院していた時に、その病院は、寧ろ、大腸の方が得意だったらしいので、よく全身麻酔で、大腸カテーテルの検査をされました。
  ある時には、麻酔のミスで、意識不明になった事があります。
  それこそ、その時には、病院は大騒ぎだったのですが、一言の謝罪もないのは、素晴らしい医者の常識です。
  
  しかし、お話は、その後のお話で、江古田のS病院を「腰痛は諦めて、体の良い自宅療養に切り替えて・・・」という事だったのですが、その後、尾骨が痛くなって来て、椅子にも全く座れなくなってしまい、仕事も出来なくなってしまいました。
  「尾骨痛」はてさて、どうしたものか?どこの病院に行けば良いのか??
  本当に悩む所です。
  
  そこで、ふと思いついたのは、当時、マスコミを賑わしていたのは、「ペイン」という新しい治療法です。
  主に腰痛の治療の話なのですが、そのペインに関する本がベストセラーになって、テレビでもよく取り上げられるようになって、尾骨の治療のために、私もその先生のもとを訪れようと決心しました。
  江古田からは、チョッと遠い五反田で、山手線の駅を降りてからも、少し歩くので、腰痛や尾骨痛の私としては、とても辛い病院通いでしたが、背に腹はかえられません。
  五反田のk病院です。
  
  どこの病院に行っても、まず先生が私の体を見て、肥満の事を口にします。
  K病院では、当然、お忙しい大先生ではなく、お弟子さんである女の先生が応対してくれました。
  そこの所は、K病院の女性の先生も同じでした。
  そこで私は先程と同じように、色々と自分の置かれている状況を説明するのですが、先生方は私の体型を見て全く私の話を信じてくれません。
  若い、なかなか美人の医者ですが、「一通り検査をすると、肥満の原因が分かるから!!」と、私の話を遮って、そこでまたぞろ一から、以前にやった検査と全く同じ血液検査やMRIやエコー等の色々なフルコースの検査を始めました。
  
  最初はかなり私の事を、自分に都合が良いように、嘘ばっかり付いていると思いこんで、かなり軽蔑的な目で見ていたのですが、(と、これは私の感想ではなく、その先生本人が後日私に言ってくれたのですよ。)検査が終わった頃「私はすっかり騙されたわ!あなたは結構気を付けて食事や運動をしているのね。そのままの生活を続ければ、2,3ヵ月後には、絶対に痩せるわよ。」と自信を持って言ってくれました。
  いやぁ、それで痩せた事は、今までにも全くないんだよね。
  今までもそうだったからね。
  何処の病院に言っても同じ事の繰り返しです。
  検査結果では肥満の根本的な原因は見つからないのですよ。
  
  
  
  ここからは、私の肥満の自論です。
  勿論、学術的な根拠は全くありませんので、参考にはなさらないでくださいね。
  
  ご存知のように、燃焼をするカロリーの燃焼のバランスは、まず70%は基礎代謝で消費されます。残りの20%が運動で消費するエネルギーとなり10%は食べる時のエネルギーに使用されます。
  
  
  またその基礎代謝エネルギーの70%の内の40%は筋肉で使用されます。後の30%が内臓の活動に当てられるのです。
  
  
  総じて言うなれば、人間のエネルギー効率は人類が作り出したエネルギー機関の全ての物より優れていて、そのエネルギー効率は人類の夢である100%の効率を実現しているといっても過言ではありません。
  
  少し大きい事を言うのなら、200万年の人類の歴史の中で、人類が肥満に悩むということは(よっぽどの例外を除けば)20世紀に入って始めての出来事だとということが出来ます。
  
  でも本当のことを言うのなら、この20世紀でも、カロリー過多で悩まされている国は先進国のほんの一握りの国に過ぎないのです。
  しかもその国が世界の食料の大半を消費しているのです。
  
  ですから20世紀の今日でも、世界中の経済的後進国は(アフリカ諸国などでは) いまだに、飢え死にする子供達が、実際にいるのです。
  人類にとっての一番の危機は、未だに飢餓や空腹であると言う事には変わりないのですよ。
  
  人間の体内のDNAには、いかに飢餓と戦うかと言う事のみが遺伝子的に人類にインプットされています。
  だから少しでも余分なカロリーが体内に入ってくるとそれを飢餓に備えて蓄えようとします。
  つまり人類はよほどの例外を除いては、肥満を経験したことは無く、肥満に対してのバリヤーはないのです。
  
  また同じ体重で同じものを食べていたとしても、太る人と全く太らない人がいるーということは(今日まで)なかなか認めてもらえなかったのですが、血液の中に含まれる特殊な物質のことや、遺伝子の中にも肥満の遺伝子があることなどが認められて、器質的にや遺伝的に肥満が起こる事も分かってきました。
  惜しむらくは遺伝子的に効くであろう肥満の薬が販売されるには、まだまだ10年近くかかるらしい・・・、と言う事です。
  (このお話を書いてから、もう10年以上は経っているのですが、肥満の遺伝子に有効な薬は未だに開発されていません。)
  
  祖母が死んだ時、いとこ達は(私を含めて)皆30代でした。
  お寺に集まった黒服、黒眼鏡のでっぷりした男の集団を見て、行きかう人達は、「どこのヤクザの葬式か?」とおっかなげに、遠回りに歩いていました。
  身内は皆、若い頃は痩せてカッコ良かったのですがね〜??
  面影はないわね。
  
  これから先は私の個人的な見解になることですが、そもそも肥満が始まる理由は、30歳を越した辺りから人の体、つまり内臓の働きが著しく低下することにあるように思われます。
  それによって消費されるエネルギーが低下していくことで、一日の必要なカロリーが2500Kiからだんだん減っていくことによります。
  男性の場合、エネルギーのピークは25歳ぐらいではないかと思われます。それから緩慢な下り坂に入っていきます。
  33歳34歳を越した辺りから、色々な成人病などが襲ってきます。(女性は好むか好まないにもかかわらず○高扱いになるのです。)
  
  お分かりのように人間も自然界では通常の動物に過ぎません。
  動物としての生殖の時期が過ぎて、動物としてはその役目を終わることになるのです。(勿論男性女性に関わらず本当の意味で生殖能力が衰えたわけではありません。その次には、他の動物の食料としての意味が残っているだけなのです。
  それ以降に子供を産む男女は幾らでもいるからです。
  此処で言う生殖能力とはあくまでも生物学的な意味ということで、人間としてのお話ではありません。
  運動能力も極端に落ちてきて、「子供と相撲を取っても、子供に負かされてしまう。」という、父親の尊厳を揺るがす親にとってショッキングなことが起こったりします。
  極端な体力を使う相撲のような世界では30歳を越して現役を続けるのは困難でしょう。どっかのお相撲さんが引退するときに、一言「体力の限界」と言っていたのが印象的でした。
  私の場合には、「体力よりも気力の限界かな??」とも思ったりしたのですがね。
  
  何れにしてもスポーツの世界では30歳の壁、40歳の壁はどうしようもないものでしょう。
  3000CCや5000CCのスポーツカーが僅か4,5年で1500CCや1000CCの大衆車に姿を変えてしまうのです。
  スポーツ選手の多くは、運動をしている時には、5000カロリーや多い人になると、一万カロリーを採っている人もいます。
  しかし、スポーツ選手を引退して、そのまま現場で指導者として、アスリート達の教育をしていたとしても、消費カロリーは、現役のままでは、どうしようもありません。
  自分の体が5000Kカロリーや一万`カロリーから、2000、3000Kカロリーに減ってしまっているのに、どうしても、若い人達と一緒に食事をしてしまい、つられて4000〜5000Kカロリーの食事を食べてしまうケースが多いのも事実です。
  それ以上にスポーツ心臓の問題もあります。
  
  
  私は中学生の時に、長崎のアパートに引っ越してからは、その後、東京に引っ越しても、ドイツに留学しても、更に帰国しても、・・・45歳ぐらいになるまで毎日1時間以上の散歩を欠かしたことはありませんでした。
  
それは腰痛や通風で全く歩けなくなるまで続けられました。
  中学生の時や高校生の時には、受験のために一日中、狭い部屋に閉じ込められて、勉強三昧の生活を強いられるので、眠るために、頭を冷やして、心の緊張を溶きほぐす為の開放感を求めて、基本的に夜な夜な歩きが好きだったからです。・・・というよりも、勉強の後なので、頭がイライラして、そのままでは眠れなかったからです。
  
  だから、私にとっては、若い頃の散歩は、心と体のリラクゼーションそのものであり、兎に角、散歩が好きで、一時間以上は必ず、昼間と言わず、深夜と言わず、雨の日も、風の日もよく歩いていました。
  しかし、齢、40を半ばにする頃から、痛風とギックリ腰に悩まされて、歩けない日が増えて来てしまった!それでも、「歩けなくなったらお終いだ」と、頑張って散歩だけは必ずしていたのだが、心臓の手術をした後からは、歩く事が辛い日々が増えて来て、歩けない日も多くなって来てしまったのですよ。
  
  よく私を知らない人達が、私の肥満の原因を勘違いをして、私に「動かなくなったから太った!!」と言うのだが、実際には「動かなくなった」、つまり、「歩かなくなったから太り始めた」分けではなく、33歳を過ぎた頃のまだまだ元気な時から、既に太り始めたのだよ。
  歩けなくなったのは、40歳の半ばからで、痛風とギックリ腰がdoublepunchで、押し寄せたからで、それまでは、10年間の開きがあるのだよ。
  
  私の肥満を批判する人達は、そこの所を幾ら説明しても、どうしても理解出来ない。
  「食い過ぎたのと、運動不足が肥満の原因だ」と短絡的に考えてしまうのだよ。
  「君は、美食家だからね。」と美食だか、大食漢であると決め付ける。
  でも、美食と大食は別物なのだよ。
  美食の人は、本当は大食ではない。
  大食では、美食にはなれないからだよ。
  利き酒をする人達が、そのお酒を飲まないのと一緒なのだよ。
  食事はお腹で味わうものではなく、舌で味合うものだからだよ。
  大食をしたら、味なんて分からんだろうよ。
  
  所詮、肥満を批判する人達は、肥満に悩む側の人達の、事情は理解出来ないからね。
  所詮、対岸の火事に過ぎないのだからだよ。
  人生のadviceをする人達と変わらない。
  軽いのだよ。
  
  中学生以前の小学生の時には???
  
小学生の時、と言っても、幼稚園から、小学校の低学年、中学年迄と、同じ小学生でも、5,6年生の高学年次では、体は全く違っていました。
  
  私は小学生の5,6年生の頃は、不登校になって、毎日、愛犬二匹をお供にして、一日中山歩き三昧をしていたのですよ。
  それまでの小学4年生の頃までには、腺病質で、ひ弱な色白なほっそりとした少年で、同級生からは「西洋人!」と揶揄されていました。
  左側の写真は、小学校の低学年の頃の写真です。多分、2,3年の頃の写真でしょう??
  当時は、カメラを持っている人も非常に少なく、写真を撮るという事自体が非常に稀だった時代です。
  ですから、私の写真も小学生の頃の写真は殆ど持っていません。
  その限られた極稀な写真の一枚です。
  この写真を見ても、ひ弱そうな腺病質の感じは見て取れます。
  
  そんな私が、イジメを受けない体力と気力を身に付けられたのは、当時習っていた居合でも剣道でもなく、不登校で、学校の代わりに、行っていた故郷の家の後ろの山の山学校だったのですよ。
  学校に行くと言って、家を出ると、縁側の下に、カバンを放り込んで、当時飼っていた(私が飼っていた分けではないのですが)コリーの長毛犬の白黒の雑種のジョンと、ポインターの雑種の真っ黒のポン(少し阿呆なので、ポンではなく、ポインターの雑種のポンです。)を連れて、山に出かけます。まるまる一日、人の影すら見る事はありません。山の中は、毎日、毎日が目新しく不思議と驚きの連続です。
  見た事もないような、怪しげな糸のように細く長い足を持った体が殆どない真っ黒な蜘蛛が歩いていたり、1メーターも或る、巨大な山ビルや、3メーター近い青大将、真っ黒な烏蛇、隣の山に呼びかけると、答えてくれる山彦等、山にはイルージョンがいっぱいで、孤独を感じたり、一人の寂しさで、泣きたくなるような事は、全くありませんでした。
  毎日毎日が新しく、未知の興味で一杯でした。
  夕方迄、目一杯、山の中で遊んで、そろそろ日が暮れて来ると、「おい!帰ろうか!」と二匹の犬に話かけると、パッと方向を変えて、家の方へ歩き始めます。
  自分達が私を追い掛けて、駈けて来る最短の道(崖を駆け上ってくるから・・・)とは違って、ある程度は子供時代の私に合わせて、ちゃんと歩き易い道を探して、帰り道を教えてくれます。
  犬は、別に仕込まなくても、それぐらいの思いやりは持ち合わせています。
  言葉を持たないからと言って、愛情を持たないわけではないのですよ。
  
  帰り道が分からなくなって、私にhelpを求めて来る今のシーズとは、偉い違いですよね。
  過保護???
  アハッ!シーズーは室内犬なので、仕方ないか??
  いずれにしても、故郷の小学校での不登校で、毎日行っていた、山学校の2年間は、腺病質の私を、健康的で体力的に充実した体を作り上げてくれました。
  「でも、不登校なのを、おばあさんは、怒らなかったの??」
  一度も、怒られた事も、叱られた事もないし、それに気にもしてなかったよね。
  「勉強は、したくなったら、すればよい。」というのがおばあさんの方針だったし、長崎でお袋と一緒に住むようになっても、お袋も、成績の事など、どうでも良かったのでね。
  お袋が、父兄面接で、中学生に行った時に、廊下に、10名程度の名前が張り出されていて、私の名前もそこにあったので、「何を悪いことをしたのかしら??と思ったら、成績の全校生徒上位10名の名前だったのね??あなた、勉強出来たのね?」と驚いていたけれど、それで、何のお祝いもなかったし、食事も何時も通り、普通だったよね。
  普通・・・だよ!!
  成績が良かった!・・・それだけの、ことさ!!
  
  生まれ故郷でもある祖母の家の諫早市から、母の住む長崎の町に引っ越してからも、毎夜毎夜の、深夜の夜な夜な歩きは先ず私がアパートを出発して、友人の家の二階の窓に小石を投げて、合図をして、今度は次の友人の家に行って、またぞろ・・・という風に、7,8人ぐらいの人数で深夜の町を徘徊します。
  そういった夜な夜な歩きの習慣は、高校生になっても続きました。
  
  高校生が深夜に連れ立って、そぞろ歩きをしていても、それで警察に補導される事は、一度も無かった平和な時代のお話です。
  
  一回だけ、他の高校の生徒が棒を持って集団で何処かに行った!という通報があったという事で、警察官から尋問された事がありますが、勉強途中の**高校の生徒だと言うと、それは大変ですね〜!と直ぐに、放免してくれました。
  それぐらい、当時はその**高校の生徒達は信頼されていたのですよ。
  
  ・・・という事で、私自身としては、痛風や腰痛に悩まされて、全く歩けなくなるまでは、ドイツでの暮らしや、東京に住み始めた時も、自分の日課である、夜な夜な歩きの習慣を、守っていました。
  
  しかし、住みやすい町であったはずの江古田の街も、時代とともに、少しずつ、街の雰囲気が悪くなって来て、オヤジ狩り等という、おとろしげな、話等も聞こえてきたりして、夜な夜なの一人歩きは、難しくなってきました。
  
  「じゃあ、やっぱり、散歩をやめた事による運動不足だ!!」
  そういう声が聞こえて来そうですが、それは全く学術的な根拠にはなりません。
  
  腰痛で入院した後、教室にマスコットのシーズの二代目をペアーで買いました。
  その散歩を、毎日一時間、夕方に江古田から桜台、練馬迄、リハビリを兼ねて、やっています。
  その後も、心臓のバイパス手術の後、リハビリを兼ねて、相変わらず、ノン歩、ノンプリッ歩と呼んで今も継続しています。
  それは、肥満の解消を目的としている分けではなく、体力維持が目的です。
  歩く事に勝る体力維持はないからです。
  
  運動自体で、痩せる事はありません。
  運動家や格闘家で、あれだけの運動量でありながら、痩せていない事でも、運動と肥満は別の問題である事は分かります。
  スポーツや武道には、力系のものと、速度系のものがあります。
  速度を要する運動は痩せて、力を要する運動は肥る傾向にあります。
  
  いずれにしても、運動によって消費されるエネルギーはどれくらいか分かりますか。
  人間の体の消費エネルギーは今人類が求めている完全な形なのです。
  
  心臓は拍と拍の間で完全に休止をすることが出来ます。
  心臓は一生働き続ける器官ではなく一瞬一瞬を生きている器官なのです。
  ですから全ての器官が休んでいる時に心臓だけが働き続けることが出来るのです。
  
  人間の体に吸収されたエネルギーの大半は、熱の保持に使用されます。
  人間は100度近い温度差の中でも生きて行く事が出来ますが、体温は1度の差であったとしても、体に致命的な重大な支障をもたらします。
  
  過度の空調や衣服での体温のコントロールは人間が本来持っている調整能力を弱らせてしまいます。
  大変困難な時代を生き抜いてきた今の80歳代以上の人達の体力は戦争で成長期の時に満足な食事を取ることが出来ず栄養失調で育ってきたはずなのですが、豊満飽食の時代の子供達よりはるかに健康な気がします。
  
  私達の子供時代には食べるものが無く本当に自給自足でした。祖母や母達では作れない米やその他の農作物を買うのに、(自分の土地を耕している小作人の人達に)自分の着物や陶器などを渡して、物々交換してもらわねばなりませんでした。
  やがてその農地も没収されていくわけですが。
  東京や大阪のような大都市では土地は財産です。
  しかし、男手を戦争で全てなくしてしまった家にとっては、土地はGHQから没収されるだけで、何の恩恵ももたらさなかったのです。
  祖母は子供が栄養失調になるのを恐れて、自分で作れる野菜のほかに、ヤギや鶏を飼ってくれました。
  おかげで子供時代は養母代わりのヤギの乳を6年間飲み続けることが出来ました。ヤギは兄貴の足で30分ぐらいかかる小学校までの通学路を6年間送り迎えしてくれました。
  (当時は犬も牛も何でも放し飼いだったからね。学校が終わる頃になると勝手に歩いていくんですよ。勿論ヤギが一人(?)でね!)
  そういった粗食に耐えてきた私達にっとって,飢えというのはそんなに怖いことではありません。
  お金が全くなくなっても1月や、2月ぐらいは何でもなく生活をして行くことが出来ます。
  これは兄貴達も同じでしょう。
  多かれ少なかれ私達の世代(所謂、団塊の世代)の人間は出来るはずです。
  
  ということでカロリーを抑えると言う事はわれわれの世代ではさほど難しいことではないのですが、「この事(カロリーを抑えること)が肥満対策にはならない。」と言う事がいまだに一般的には理解されていないのが困るのです。
  
  此処で先ほど書いた人類の歴史の話に戻りますが、余分なカロリーが体内に入ると飢餓に備えて余ったカロリーを脂肪として体に蓄えようとします。
  食事を制限して1600Kカロリーや、もっと極端に1300Kカロリーに抑えたとしてもそうすると人に体は基礎の体力を900Kカロリーとか600Kカロリーとか押さえ込んでいきます。
  体力や気力はどんどんなくなってきますが、体は痩せると云う事には繋がらないようにして、生命を守ろうとします。
  
  体が基礎体力を落としだして、日常の生活が疲れやすくなってしまったら、それは「ダイエットの間違い」・・・だと言う事が出来ます。
  直ぐにそのダイエットはおやめください。
  
  肥満はストレスだけでも起こります。
  原因は必ずしも食べることだけではないのです。
  ストレスによる過食の事はTVなどで良く取りざたされています。
  しかし、全く過食をしなかったとしても、「ストレスだけでも肥満が起こる」ということなのです。
  肥満は内臓の衰えや病気、免疫力の低下でも起こるのです。
  では何故最初に体の調子を整えないのですか?
  
  運動は筋力をつけます。
  プロテインは筋肉を作るのにとてもよい結果をもたらすでしょう。
  しかし、筋肉で消費されるエネルギーは驚くほど少ないというのはカロリー計算表を見れば分かります。
  ラーメン一杯のカロリーを消費するためには、何時間ジョギングすればよいのでしょうかね? 
  こんなことは小学生でも分かる単純な計算ではないですか?
  それを、高度な学問を勉強しているはずの医者が何故分からないのかね??
  不思議だ?!!!
  まあ、カロリーを消費するのは、筋肉が一番大きいというのは常識ですからね。
  そこまでは、誰でも分かっている・・という前提なのですよ。
  
  
  ダイエットのもっとも効果的なアドバイスは、「人間、30歳を越したら絶対に体重を増やさない!」ということです。
  
  
若い頃は2,3キロ太ったとしても直ぐにダイエットしてやせることが出来るでしょう。
  それで、皆、過信します。「私は、いつでもダイエット出来るし、直ぐに戻すことが出来るから・・!!」
  でも、残念ながら、それは若い内(U20)だけなのよね。
  10代、20代なら、食べても、次の日に食べなければ痩せられる。
  しかし、30代を越すと、同じ体重をキープするのに、食事を減らして運動をしていかなければならないのですよ。
  同じ食事をしていたら、確実に肥るのですよ。アハッ!ハッ、ハッ、ハッ!
  
  
  しかし、先程も述べたように、30歳を越した辺りからは一度太った体重を元に戻すのは容易ではなくなります。
  何事も最初の1キロを許してしまうか否かが、その後の貴女の体形を暗示しているのです。
  怖〜い!
  
  
  別の機会に、全く同じ内容なのですが、肥満についての一文を書きましたので、参考までに載せておきます。全ては肥満から始まった
  全くこの文章と同じ内容なので、悪しからず。
  
  
  
  肥満と糖尿病
  エコ型の子供
  よく知られていることではあるが、人類が地球上に誕生してから幾度となく、氷河期などで人類絶滅の危機を迎えている。この氷河期に人類が4足歩行から二足歩行へ移行したのも、絶滅を防ぐための進化であることはよく知られていることである。
  生物の適応能力と言うものは、恐るべき物がある。人類は戦争や飢饉によって極端な栄養失調状態になると、母親の胎内の子供は体を小さくすることによって、必要最低限のエネルギーでも生きていけるように体を改造してしまう。幾度となく飢餓による絶滅を迎えようとして来た人類の遺伝子のなせる業である。幾度となく飢饉を迎えてきた江戸時代の日本人も同様であって、当時の日本人の平均身長は150センチ代であった。
  これを飢餓に対処する遺伝子とでもいうのだろうか?
  しかし、中尊寺のミイラは180センチにもなる偉丈夫であった。飽食の支配階級と常に飢餓にさらされてきた平民達との差とでも言おうか?(ミイラは江戸時代よりもずいぶん前の話だけれどね)
  今日世界中の生産するエネルギーの、80%のエネルギーを、先進国である20%の国の人々が使っている。当然、日本もその20%のエネルギー消費国の中にしっかり入っている。
  残りの80%に該当するアフリカ諸国やアジア諸国などの貧しい農村の人たちは、常に飢餓と戦って生活をしている。そういった国々の十分な食料もない母親の胎内では、子供は体を小さくする事によって、飢餓に適応しようとする。
  人類がこれまでにも幾度となく体を変える事によって対応してきた最も有効な飢餓に対する対処法である。
  しかし、中国などの経済発展の途上の国では、地域格差の問題がある。農村部の食糧事情と、豊かな都市部の食糧事情では著しく異なる。子供達が成長し、豊かな都市部に働きに出て行く。
  そうして、食料の溢れている都会で、カロリー過多の飽食でなく、ごく普通の食事を普通の量、毎日きちんと注意深く食べたとしても、すでに子供は生み出される時に母親の胎内でエコ型の人間になっているので、体はそれを過食と判断しインシュリンを出して糖尿病を誘発する。
  そういった子供達の事を「エコ型の子供」と呼ぶ。
   
  一見するとエコ型の子供のお話は、発展途上の国だけのお話と思われがちであるが、実はアメリカや日本などの先進国でも、同様の問題が起こっているのだ。
  それは若い女が過度に美しくなりたいと思って、ダイエットに励んだ結果や、慢性のカロリー不足や偏食によって引き起こされた母体の飢餓状態である。
  過度なダイエットのために母体は飢餓状態と判断し、子供を小さな「エコ型の子供」として出産するのである。
  その子供が小学生や中学生になった時に、ごく普通の食事を、ごく普通の量採ったとしても、糖尿病となり肥満となる。
  体が飢餓状態のエコの量しか対応出来ないからである。
   
  私達の世代でも同様の問題が起こっているが、それは飽食の結果ではなく、戦争による極端な食料不足で親が栄養失調状態のときに生まれてきたからである。昭和20年代から30年代にかけては、まだ食糧事情はさほどよくなかった。糖尿病や肥満と言うよりも、その日の食料を手に入れることだけに人々は苦労していたからである。私も小学校の時代には御飯茶碗にかぼちゃが一切れと言う事が良くあった。飽食、過食の時代が起こるのは、私が20代に入ってからの、昭和40年代以降の高度成長期を迎えてからの話である。
   
   
  やせるためには、自分の体の中にある脂肪を消費しなければならない。
  もし成人男性が1700Kカロリーのエネルギーが、1日に必要な最低消費量だとして、それが体重の増減のプラマイ0キロカロリーだとすれば、それ以下のカロリーでなければ、やせることは無い。
  つまり、飢餓状態になれば、自分の体に蓄えられた脂肪を食糧として消費していくのである。アウシュビッツの例を見ると良い。また人間の体は、自分の体を食べ始めると同時に、内臓や筋肉で消費されるエネルギーを極端に押さえて、自分の体をエコ型に改造していく。これをリバウンドと言う。
  私が病院に入院していたときに、1日のカロリーはダイエットのために1300Kカロリーまで抑えられた。最初の1週間で、約5キロほど痩せたのであるが、それから2ヶ月、まるっきり体重は変わらなかったのである。それよりももっと怖いのは、遺伝子はその1300Kカロリーを飢餓状態と判断して、せっせとその1300キロカロリーの中でさえ、カロリーの備蓄に走る。
  私の場合、高校生の時期から33歳ぐらいまでは体重は全く変わらなかった。それ以降急激に肥満になって行くには、肥満型の食生活に移行したということと、内臓の衰えといえるだろう。
  カロリーはその大半を生命の維持に使用する。それを基礎的エネルギーという。
  横になって寝てるだけでも、生きて行くために消費されるエネルギーのことである。これはよく分かっていないが、多分700キロカロリーぐらいではないかと推定されている。
   
  加齢による肥満の場合、ダイエットのためにカロリーを減らすと、体が機能しなくなることがよくある。内臓の衰えのために、吸収したエネルギーの半分も使えないからである。
  では、使えなかったエネルギーはどうなるのか?
  当然、脂肪なって再び肥満をする。つまり、肥満を防ぐためにダイエットすれば体が疲労し、体がちゃんと機能するようにしっかりと食べれば太る、という悪循環を繰り返す。これが熟年性の肥満である。
  肥満対策として一番多く言われている事は、運動であろう。しかし、運動で消費されるエネルギーは微々たる物である。例えば、体重を1キロ減らすために、必要な運動の量は・・・と言う問題を出したとする。(本当は、体重が50キロの人と100キロの人では、その運動量は著しく違うので、そんな単純なものでは無い。)散歩では?ジョギングでは?水泳では?
  人類の文明の歴史はエネルギー効率の歴史だと言っても過言では無い。
  人はエネルギーを得るのに、多くの時代木や草を燃やして、エネルギーを得ていた。それが石炭になり、石油になって、と言う歴史がある。それはエネルギーを取り出す効率の歴史でもあるのだ。
  動物のエネルギーの消費効率は今人類が手にしているテクノロジーの術を尽くしても、自然の有効効率には遥かに及ばない。そういった意味でも運動して痩せると言うのは最も効率の悪い方法論である。では何故、ダイエットに運動が良いと言われるのか?それは運動そのもので痩せるのではなく、運動によって作り出された筋肉が消費するエネルギーが基礎エネルギーになって体のエネルギーを消費してくれるからである。
  しかし、筋肉を作り出すにはどうすれば良いのか、それは負荷を与えて元の筋肉の組織を破壊するのである。そうすれば体は再生をしようとして、より強靭な筋肉を作る。それが運動による筋肉である。つまり、幾ら散歩しても、健康維持ぐらいは出来たとしても、それで痩せる事は決してないのだよ。
  医者の勘違いで、「ちゃんとカロリー計算をすれば確実に痩せる。」と言う言葉を常にアドバイスする。私が通っていた病院の若い医者は、私に対してかなり侮蔑的に「肥満なんて、食わなきゃ確実に痩せるんですよ。」と言っていた。「私も君達の頃は、やせていたんだがね!」と、反論したかったのだが…。
  しかし、そこには二つのおおきな間違いがある。そこの病院での私の場合を実例にすると、体重が5キロ減で安定してしまったのは、体がそう判断したからである。つまり体が1300キロカロリーで生きて行けるように内臓や筋力を調整してしまったのである。体はそれを飢餓状態と判断したのだ。そこから二つの道がある。一つは1300キロカロリーよりも多い食料が供給された時にはそれを備蓄しようとする。つまり、1350キロカロリーでも、そのわずかの50キロカロリーを備蓄に回してしまうのだ。人はそれを停滞期と呼ぶ。つまりその時期を乗り越えると又痩せる事が出来ると言うのだ。しかしそこにも大きな落とし穴がある。半年間にもわたる1300キロカロリーの飢餓状態を続けると、体はそれを通常の状態と判断するようになる。それで1300キロカロリーの食生活を通常の状態と判断するようになるのである。しかしそれは、3000ccの車が2000ccの車に移行したようなものである。
  であるから加齢による内臓疲労型の肥満は、これ以上、(例え1キロだとしても)太らないように、注意深く食事等に気を使うべきである。特に気をつけなければいけないことは、「昨日食べたものと同じ量を、今日食べると確実に太る」ということである。それは内臓がどんどん老化して、余分なカロリーを消化出来なくなっているからである。
  2000ccのエンジン出力の車が10年も乗ると1000ccのエンジン出力の車ぐらいになってしまうのと同じである。それでも、無理をして2000ccの仕事を要求すると、その分逆にガソリンを(元の2000ccよりも)食うようになる。もっとも、車の場合は(余剰エネルギーが出たとしても)太らないので、その分CO2を撒き散らすことになる。
   
  なんとかダイエットに成功したとしよう。まず注意しなければならない第1点は目標の体重にすることが出来て、安心して元の1700キロカロリーの食生活に戻すと、体は必死に(1300キロカロリーから見ると)余分な400キロカロリーを備蓄しようとする。つまり一度身についた1300キロカロリーの食生活を元の1700キロカロリーの体に戻すことは、永遠に出来ないのである。
  第二点は体力の問題である。1700キロカロリーの体から、1300キロカロリーのエコ型の体に移行したということであるので、確実にその分だけ基礎体力は衰えている。確かに30代や40代ではそういったダイエットによる体力の衰えっていうのはさほど気にならないかもしれない。しかしこれが50代の後半や60代ともなると、その体力の衰えというのは日常生活上では致命的なものになる。
  医者たちは理解しようとはしないが、30代までの肥満と30代以降の肥満では肥満の傾向が基本的に違う。30代を起こした人間が急激に太って行く場合、(通常はこれを中年太りといというのだが)加齢によって内臓や筋力が急激に衰えて行くために、体が消費する基礎エネルギーが著しく低下するためにおこる肥満である。
  そのために、過激な運動をすると逆に内臓を痛めてしまうし、適度な運動したとしても老化を軽減する程度の効果しかない。内臓の機能を活性化する方法でもあれば別であるが。
   
  結論的に言うと、1kg太るごとに1キロ分の食事制限をして行くほかは無い。体力が著しく低下して行くのも加齢によるもので致し方ない。それをなるべく緩やかにするために適度な運動をして行く。老化の問題は、私たちの世代ではまだ解決の出来ない課題である。次世代か、或いは次次世代かに期待するほかは無い。
  と言う事で、今日の結論は
  ダイエットのための運動は肥満防止にはつながらない。
  体力の増強、維持のための運動は肥満防止になる。
  と言う事である。
   
  私が経験上の知識として、若い人たちに贈る言葉は
  10代では過食をしても太らない。
  20代では、ダイエットすればやせることが出来る。
  30代では、一度太ったら二度と痩せない。
   
  2008年11月22日追記
  芦 塚 陽 二 拝  
  本文は17,8年前の50歳を過ぎたあたりから書き始められたものです。
  それからも、だんだん着実に太り始め、(09年1月)現在では、「糖尿病だ。」と宣言されてしまいました。
  と言う事で、何気なくNHKの番組を見ていたら、「低カロリーダイエット」と言う事で、「食べないでカロリーだけを押さえようとすると、反対に太る。」という話をしていました。
  肥満のスイッチの話など、私がこの10年、20年言い続けた事が、やっと今日になって、一つ一つ証明され始めて、うれしくなってしまいました。
  もう少し、早くそのダイエットに巡りあう事が出来たらと、残念です。
  頑張って少しずつ、勉強して見たいと思っています。
  ちなみに、何歳になっても、飢餓のスイッチをオンにしないバランスの良い食事に気をつければ、痩せる事は出来るそうです。
  そいつは、素晴らしい!!
  
                                  09年1月28日追追記
                                  芦 塚 陽 二  拝
  
  
  昨年(2012年)の11月頃のお話ですが、penisの皮が、炎症を起こしてしまいました。
  勿論、チョッとクロマイ軟膏やVGの軟膏をすり込むと、直ぐに治ってしまうので、気にもしていませんでした。
  
  という事を2,3度繰り返していたのですが、今年にはいってから、何と!・・・・突然、真性の包茎になってしまって、亀頭と皮が癒着をして、排尿するのに、皮を引きちぎる激痛が走って、パンツに血が付いてしまうようになってしまいました。
  
  仕方がないので、近所の泌尿器外来を尋ねて、そこで外来のpetit手術をしたのですが、1週間以上経っても血が止まらなくて、パンツの予備も危うくなってきました。勿論、血の付いた部分を染み抜きや部分漂白をして洗った上でのお話です。
  
  あいも変わらず、術後の傷は、酷い癒着状態で、オシッコが何処に飛んで行くのか分からないようになってしまいました。
  
  その旨を先生に伝えると、「肥満と糖尿を治せば、キレイになるよ!」とのご宣託でした。
  また、去年の9月頃から、それまでは全く効いていなかった血圧の薬が、突然、効き始めて、実に良い安定した状態になっていました。
  
  ところが、今年に入って、突然、血圧の薬が効き過ぎるようになってしまって、上が110を切って、下が60代になったりして、不整脈まで出るようになって、当然、鬱の状態が頻繁に起こるようになってしまいました。
  
  という事で、降圧剤が2種類出ていたのを一種類にしたら、最初の一月、2月は調子が良かったのですが、今度は突然、また、上が160や、170迄上がってしまいました。
  という事で、元の薬に戻すとまたぞろ、血圧が下がり過ぎるのも危険なので、新しい薬を試し始めました。
  先ずは20mmからで、効かなければ同じ薬の40mmと言うのを試すそうです。
  
  
  また、今年になって、強烈な便秘になってしまって、排便の時に、頭から血が吹き出すのではないか??と思う程、排便困難になってしまいました。
  勿論、市販の便秘薬も試してみたのですが、全く効き目なしで、やめてしまいました。
  世界一受けたい授業で、ある先生が肥満は体重を落とそうとするから失敗するのであって、体内脂肪を減らす事が、病気の対策として最も大切である。という事で、体の中の胆汁酸を排出する事が、体内脂肪を体の外に出す事にもなるので、食事に舞茸と杜仲茶、麦飯だけで、体内脂肪が劇的に減ると言う話をしていました。
  その時に胆汁酸が腸で排出されると、便秘も解消されるというお話を聞いて、今まで、何度か、試みてはやめていた、杜仲茶をまた、買って来て、早速煎じてみました。
  なにせ、安いしね。370円ぐらいだからね、
  丸丸一日、杜仲茶をガブ飲みしただけなのですが、何と、便秘が治ったのだよ。
  すこぶる快便!!
  兎に角、加齢によって、病気が段々増えて行きます。
  今年は病院のハシゴかな??
  そうして、一歩一歩、彼岸に近づいて逝くのかな??
  
  (今までも何度も杜仲茶を飲んでいたのに、何故、そのまま続かなかったのだろう・・という事が、突然、意味が分かった。
  突然、吐き気がして、杜仲茶が飲めなくなって来たのだよ。
  お茶の量を少なくして、薄くして試してみたのだが、一旦、体が拒否をすると、二度と受け付けなくなる。「あ〜あ、それで杜仲茶をやめたのだったよな?」と思い出した。
  2015年7月14日記)
  
  
  
                               2013年5月22日
                               江古田一静庵にて
  
  
  「後日談」
  この杜仲茶と舞茸と麦飯のダイエットも1月以上(2ヶ月近く・・・)は続けて見たのですが、全く、一日でも、一瞬でも、1キロも痩せませんでした。
  それに快便も僅かその日の、一日だけ・・・・後は元の木阿弥です。
  
  ダイエットに関しても、その間、食事の量を抑えたり、間食もしないで、頑張って見たのですがね。
  勿論、敢えて言う事もありませんが、食事の量だけではなく、野菜中心で、肉や魚もbalance良く、摂取するように、気をつけながら、少しでもダイエットの糸口が捕まえられれば・・・・と、それなりには、頑張って見ました。
  しかし、無駄なものは無駄です。
  それに、杜仲茶は結構美味しいので、昔から時々は飲んでいます。
  私の自宅には杜仲茶専用の煮出し用の陶器のヤカンがある程なのでね。
  
  2013年の11月13日の夜、もう14日の深夜です。
  いや〜!
  近頃は、心臓にも悪影響があるので、なるべく怒らないようにしていたのにもかかわらず、今日は超頭にきた! 
  人が1番やっていけない事は、相手の体のことについて悪く言ったり、批判をしたり、揶揄したりする事である!
  俺の大学時代の同期に、俺が肥満をし始めた時に、「ブタだ! 」と言った男が2人いる。
  勿論そいつらとは二度と口は聞いていない! ! 
  
  肥満は食べなければ治るという筋合いのものではない。
  鈴木病院の緊急入院の時も、最初の3日、4日で劇的に痩せたのだが、病院がダイエット食を出していたにもかかわらず、それから1月半の間全く1キロも痩せなかった!
  最初の3日、 4日で痩せたのも、体が全く動かせなくなったから、筋力が落ちただけで、実際に体重が減ったわけではない!
  大野病院でも2週間の全食事や間食を全部デジカメにとってチェックをしもらったが、まったく問題はなく、 「このまま続けてれば痩せるよ! 」という話だったのだが、それで痩せた事は無い! !
  それは、ペインで行った病院でも同じである。
  何度も病院に行って、食事や体力作りをチェックしてもらっているのだが、それで痩せたことはないし、いちばんひどい先生は「食わなければ痩せるよ! 」とドクハラまがいのことを言う。
  その医者が口にはしなかったとしても、多くの医者はそう思っている! ! 
  肥満のメカニズムは、俺のホームページにも詳しく書いてあるし、それを読めば俺は現実に何を悩んでるかが分かる。
  糖尿病にしても、心臓にしても、痛風にしても…人は「痩せれば治る!」としか言わない! !
  そんなことは今更分かりきっている! ! 
  食べたいものを食べないで、間食をしないということが、いかに辛いかと言う事は、肥満を経験した者にしか分からない。
  
  私も、食事制限や、運動で何度も痩せた(!!)経験がある! !
  でも、その次は飢餓遺伝子との戦いになる!
  それを一般ではリバウンドと呼ぶ。
  食事制限や無理な運動で痩せたら、必ず次にはリバウンドが来て、元の状態よりも更に悪い状態になる。
  まず人のことを揶揄するのならば、 「私たちは太っていないから食事制限をする必要はないし、甘い物を制限する必要もない! ! 」という事は、絶対的に許せない! !
  
  人に食事の事で、揄するのなら、その前に、人に言う前に、自分でやって見るとよい。それで、辛くないのなら、一緒にやればよいのだよ。
  それが思いやりというもんだ。
  自分は、太っていないから、甘いものを控える必要がない・・というのなら、その人は、人に対して「甘いものをパクパク! ! 」という事を言う事は許されない。
  本当に人の事を考えて、その一言を言うのならば、自分の部屋にある甘い物を全部処分して、一緒に食べないようにするべきだ! !
  それで初めて、ダイエットをする人の心の痛みというものがわかるのではないか?
  人が1番悩んでいることを笑い話の材料にすることは、絶対にやってはいけないことではないか! !
  それは常識だよ!!!!
  
  
  糖尿病と頻尿
  夜間の頻尿に悩んでいる。
  夜間の頻尿には、2種類のタイプがある。
  夜間に、4回、5回とトイレに行くのだが、オシッコが出ない場合と、ちゃんと出る場合である。
  この2種類のタイプはその原因が全く違う。(私は、医者ではないのだから、その詳しい説明はしない。専門家の書いたPageを参考にしてください。)
  
  私の場合には、オシッコがちゃんと量的に出る場合なのだよ。
  という前提で次の文章を読んでください。。
  
  私は、夜間の頻尿に悩んでいる。
  1時間おきに、起きてトイレに行くのだが、これがちゃんと普通な量で、出るんだよね。
  基本的には、昼間体を酷使しているので、一個しかない腎臓が働かなくって、夜、体を休めている時に、腎臓が頑張って体の老廃物や疲労物質の掃除をしているからで、二度寝、三度寝で、体の掃除が終わったら、ちゃんとした時間、熟睡出来るのだよ。
  
  極、希にではあるのだが、そういった「熟睡」が出来る時もあるのだよね。
  
  この話には、別の説明もある。
  それは、糖尿病との関連の話である。
  糖尿病になると、足のポンプ作用が出来なくなる。
  そのために足がむくんで、真っ黒になってくる。それ以上に、足の指の関節の所が真っ黒になって、最悪、足の指が壊死をする。
  足を切断しなければならなくなってしまうのだ。
  下半身の肥満によって、膀胱が圧迫されて、膀胱の尿を溜める容量が少なくなってしまう。
  そこで、横になって寝ると、足に溜まった水分が心臓の所に戻って来る。
  そのために心臓は、「水分が溜まった」と判断して膀胱に水を送る。
  しかし、膀胱は、肥満で圧迫されているので、水分を溜めるだけの容量がない。
  そういうメカニズムで、夜間の頻尿が起きる。
  今、現在では、足を高くして寝る事を心掛けている。
  それだけでも、足の黒ずみが少し薄くなって、足の甲のむくみも少しは、改善されているように思われる。
  勿論、気休めにしか過ぎないのは分かっているのだが。
  
  嘘か本当か、信じている分けではないのだが、遺伝子検査をやってみた。
  結果は、バナナ型をコラボしている洋梨型のタイプだそうで、医者に言われて、今までやってきたダイエットとは、反対の事が書いてあった。
  食事制限はもっての外で、米を中心で、オカズは少なめ、今まで頑張ってやって来た事が否定されて、チョッとショックだったのだが、今更、そんな事を言われてもね〜ぇ???
  
  やる気が起こらないよな〜ぁ??
  2015年7月14日記
  
  2016年10月05日記
  2016年に入って、それまでもあったのだが、非常に酷い便秘に悩まされるようになって、医者に便秘改善薬を出して貰うようになった。
  しかし、当初は、幾ら薬を飲んでも、何の変化も見られなかったのだが、或る日、突然に、急性の下痢に襲われて、それから毎日、一日中下痢で苦しめられる事になった。
  便秘の改善薬を飲むのを、やめて暫くすると、便秘が戻って来る。
  という事で、医者に、その便秘薬をやめて、整腸剤を代わりに出して貰ったのだが、今度はm元の木阿弥で、またまた便秘に悩まされて、拳大のウンチが出て、死ぬ思いと鮮血に悩まされる事になった。
  病院からの薬を、自分なりに加減して飲んで見たのだが、何の改善も認められない。
  という事で、病院の薬を諦めて、(一応、整腸剤は飲みながら・・ではあるのだが・・)市販の薬を飲んでみたのだが、全く改善は見られなかった。
  勿論、オリゴ糖等の食品を色々な食事に入れたりして見たり、ネットで良いというものは、色々と試して見たのであるが、頑固な便秘は改善されないか、ピードンになって、トイレから離れられなくなってしまうかのどちらか??・・である。
  それでは、仕事にならないので、考え込んでいたのだが、或る日、部屋の片付けをしていた時に、30年も前に、千葉の花園教室の傍にあった、マルカンの薬の白い入れ物に目が行った。
  その頃は、ちょうど、体がどうしようもなく、太り初めていた頃で、何とか、太るのを防ぐ方法はないのか??・・と暗中模索していた頃の話なのだが。
  それで、花園の教室の近くのお店で「スリムドカン」という薬を勧められたのだが、これが、6錠飲んでも、体に何の変化もないのだが、7錠飲むと、突然の下痢に襲われて、それこそ何時、下痢になるのかが、分からなくって、仕事にならないので、飲むのは無理・・という事でやめてしまった。
  つまり、1瓶か、2瓶を飲んだだけで、その後、2,30年間はやめてしまったのだよ。
  
  スリムドカンの成分は、基本、漢方の生薬なので、繊維で腸を整腸する働きがある。
  今、現実に私が苦しめられているのは、肥満は当然なのだが、それよりも、便秘なのだから、そういった生薬に頼った方が良いし、ピードンの量は経験済みである。
  
  老人性で、誰しも、腸の繊毛の働きが鈍って来る分けなのだから、病院の薬はその繊毛を強制的に動かして、結果、繊毛が疲れ切って死んでしまう。
  そうすると、便秘は、自分の力で便を排出出来なくなってしまうので、大変な事になってしまうのだよ。
  
  スリムドカンは、基本は痩せる薬なのだが、便秘薬として飲むのであれば、何の問題も無かろうと、早速、ネットで注文して見た。
  
  薬というよりは、栄養補助食品と言う事で、3錠から12錠を一日で飲む事になっている。
  私の経験と言っても、若い頃の話なので、その経験は無視した方が良いと思うので、取り敢えずは、最小の3錠から、食後に飲むことを始めた。
  チョッと、誤って食事の量を多く取った時には、薬の量を4錠に増やした。
  ピードンにならないように、細心の注意を払っての匙加減なのだよ。
  
  今まで、毎日、ウェルネスリンクのメモ帳に、便の量と排便の関係をメモっていたのだが、何と、スリムドカンを飲み始めて、便通が極めて改善された。
  
  下手な便秘薬の太刀打ち出来る所ではない。
  体重は全く、日常の食生活に依存しているようで、スリムドカンとは無関係のようだが、それは、最初から想定内なので、問題はない。
  
  このまま、暫く様子を見る事にする。
  
  2016年10月追記