その後 Ⅱ


診療内科のお話
2018年は、私にとっては、とても大変な人生の壁とも言えるような年でした。
その予兆だったのか、年明けから、毎夜の欝に悩まされて、とうとう6月からは欝が酷くなってしまったので、これ以上の辛抱は無理という事で、ちょうどその頃に、江古田に新しく出来たばかりの診療内科があったので、これ幸いにとその病院を訪問しました。
練馬区には心療内科が全く無く、唯一の心療内科も遠い場所というだけでなく、、病院不足で診療を受け付けない程の込み様だそうです。

新しい診療内科には3ヶ月程行きましたが、最初の薬は、気分も軽くなって好ましい結果だったのですが、2,3週間の間に、1,2回程軽い欝になったぐらいで、とても良い状態だったのですが、病院の先生は、その1,2回の欝に過敏に反応をして、より強い薬を出すという繰り返しになってしまい、とうとうbedから立ち上がる事が出来なくなってしまいました。

調剤薬局の人のadviceで、徘徊や痴呆の人をbedに縛り付けるために処方する程の強い薬で、私のように、仕事をしている人に対しての処方は原則ないのだそうです。
という事で、これ以上病院に行くと仕事が出来なくなってしまうので、欝を堪える事にして、病院に行く事はやめてしまいました。


ひかりヶ丘病院のお話

行きつけの調剤薬局の人が、血糖値が全く良くならない・・というか、寧ろ悪くなっている事を心配して、7月からは、10年以上通っていた近所の街の病院である大野病院の先生に紹介状を書いていただいて、糖尿病の専門外来のあるひかりヶ丘の病院※)に行く事になりました。

※)私がsecond opinionで逃げ出した「ひかりヶ丘の日大病院」はとっくの昔に閉鎖をして、練馬区が経営する総合の民間病院に変わっていました。そのひかりヶ丘病院の院長先生が私の糖尿病の主治医になりました。


更なるsecond opinion
この年の9月は私にとっての分水嶺である大変な月でした。
ある日突然、血尿が出たので、安静にして様子を見ていたのですが、酷くなる傾向が見受けられたので、慌てて、予約無しに、ひかりヶ丘の病院の泌尿器科に飛び込んで、検査を受けて、膀胱にポリフが出来ているという事で手術が決まったのですが、その時のCTでなんと7cm超の腹部大動脈瘤が見つかって、カテーテルによるステントの緊急手術の予定になってしまいました。
ところがMRIの結果、カテーテル手術は難しいという事で、急遽、開腹手術になってしまいました。

心臓のbypassが心配なので、という事で、造影剤の検査を受ける事になったのですが、腎臓の機能が心配なので、3DMRIによる検査を希望したのだけど、当然ひかりヶ丘には無いので、にべもなく断られて、検査を私の意思に反して、断行されてしまいました。
これは、後日、腎機能の低下を招いて、大変に困っています。

腹部大動脈瘤の開腹手術には、second opinionを要求したのですが、いつもの通り、にべもなく否定されてしまったので、私がnetで調べて、手術件数でずば抜けている川崎の幸い病院に検査をお願いしました。
結果は、問題なく、カテーテルでのステントが可能である・・という事で、緊急の手術を受けて、その一月後には、膀胱のポリープの手術も川崎の病院でやりました。
但し、糖尿病のために、血尿が止まらなくて、数ヶ月も掛かってしまいました。
膀胱は怖いので、3ヶ月おきの膀胱鏡の検査は継続しています。


2020年の後半では、糖尿病の先生に、bypass手術の後のケロイドが痛痒くて、飲み薬を処方してもらったのですが、肝機能が極端に悪化して、急遽、検査になりました。
しかし、思い当たる事もないので、ケロイドの飲み薬をやめて様子を見たら、平常に戻ってきた所です。薬の副作用だったようです。